408.なぜ日本ペイントはひさしを貸して母屋を取られたのか

日本ペイントは日本の塗料業界再大手、世界第5位、創業130年日本最古で、最初は軍艦の塗装から始まった老舗名門企業です。しかも業績は自動車、建材業界中心に絶好調です。株価は10年前の10~15倍です。この会社に何が起きたのでしょうか。日本ペイントは先週3月28日の株主総会で、60年前からアジア進出の時の合弁会社のパートナーであり筆頭株主のシンガポール、ウットラム社オーナーが推す10人の取締役の枠のうちの6人を承認する案を可決したのです。筆頭株主といっても、39%で過半数は取っていません。それまでは、ウットラムからの取締役はゴー代表一人でした。どうしてウットラムの提案を取締役会で承認したのか、理屈では39%では株主総会での議決権争奪戦で勝てません。なぜ日本ペイントトップは、すぐにゴー氏に白旗を上げて一番大事な130年守った経営権を簡単に明け渡したのでしょうか。ちょっと信じられません。私は10年ほど前に2年間、日本ペイントの風土変革、部長研修の仕事で深く関わり、現在の取締役、執行役員の方たちを多く知っていたので、この事件は衝撃的でした。しかしやっぱりそうなるかなという感じもしました。以下は事実に基づく私の推測です。

「シンガポールで塗料を売りたい」という一人の華僑が日本ペイントを訪れたのは60年前でした。その後アジア進出の合弁会社11社を次々と作って行く時の信頼できるパートナーがその華僑の会社ウットラム社でした。その長い期間、日本ペイントは寛大に対応、技術、製造のノウハウ、スキル全てをウットラムに与え続け、ウットラムはアジア成功の過程で強大な力、富を蓄えていきました。日本ペイント経営陣はウットラムへの恩を仇で返されるはけっしてないと長く信じていました。確かに初代オーナーならそこの信義を大切にして今回のようなクーデターは起こさなかったはずですが、ウットラムの実権は2代目です。完全にビジネスライクに徹して、いかにして日本ペイントの実権を握るかを着々と長く考え続けていたのです。ウットラムは2008年に日本ペイントの出資を9%から14%に引き上げました。日本ペイントは14年にアジアの多数のウットラムとの合弁会社の日本ペイントの出資比率を51%に引き上げることにより日本ペイント連結での売上高を2600億から、5400億に大増進しました。しかしその交換条件としてウットラムの日本ペイントへの出資比率を14%から39%に引き上げることをウットラムに承認しました。これが結果として命取りになったのです。

トップマネジメントはこのプロセスで大きな判断ミスを犯しています。①ウットラムの2代目ゴー氏を信用しすぎている。39%の大株主でも、先代からの関係から手荒なことはしてこないと信じていた。もちろんゴー氏も39%を入手するまでは、おとなしく先代にならった振る舞いをしています。旧マネジメントは最後までウットラムがクーデターなど起こすはずはなく、旧トップはゴー氏と話せばわかると信じていたようです。②世界規模の拡大で世界のトップ企業に出られるという夢を追いすぎ、無謀な危ない取引をゴー氏としてしまった。③ゴー氏から取締役10人中、6人の取締役の株主提案は株主総会の議決権決戦で否決は可能である。39%は過半数に届かないが、ゴー氏は海外投資家に自分が経営した方が企業価値を上げると説いてまわり、過半数を自分が取れると日本ペイントに脅しをかけていた。ゴー氏は、日本ペイント側は争いや対立を極度に嫌がることを知っていたから、反撃に出る可能性は少ないと判断、その脅し作戦を取ったのです。案の定、前経営陣は、すぐに白旗を立てて本丸をいとも簡単に明け渡しました。最後まで会社を守り戦う強い意志がなかったのです。

なぜ、こんな弱いマネジメントがこれほど大きな老舗会社で起きてしまったのか。私は先々代の松浦社長、先代の酒井社長(会長)とその右腕の専務と、いろいろ関わらせて頂きました。この弱い、優しい、マネジメント判断のもとは当時のトップ、幹部社員の体質、風土にも出ていました。事実として①松浦社長は、コンサルタントの私に、日本ペイントはダメな会社、ダメな社員ですが、なんとか強くして欲しいと言われました。半分冗談にしても謙虚すぎます。もっと強い自分たちに自信を持ち、強いリーダーでなければ会社、社員をリードできません。②トップ同士の入るミーティングでトップがお互いに○○ちゃんで呼び合い暖かい雰囲気はありましたが厳しさは感じませんでした。③研修、コンサルの中で、私は「日本ペイントの常識は世間では非常識」「ぬるま湯のゆでガエル状態」「温泉まんじゅうをわける格子が社内中にありお互いが殻にこもって仕事をしている。踏み込まない」のような発言をいつもしていました。率直に発言する私を当時の専務が気にいってくれ、2度仕事のオファーを受けました。最初は人財部長、次はグローバル担当執行役員、まだ50代前半でエネルギーがありましたから2回目の時は心が動きました。しかしその専務から「あなたが入ると、社内の和が乱れるから、反対という意見が幹部社員から多くでており、この話はなかったことに」と言われました。その話は研修中に複数の部長からも言われましたから真実です。上も、下も波風立てることが大嫌いで、対立、争い、論争はなしですましたい仲良しクラブそのものでした。ほんとうに優しい、ゆるい、居心地の良い会社でした。③創業から130年、ずっと繁栄してきました。市場規模もそれほど大きくないので、日本最大手で新規参入も少なく、業界の仲間内でことはすむので危機感は会社全体にゼロだったと思います。ですから、会社変革、自己変革など必要はなく、流れのままで良いと会社全体で思っていました。合弁パートナーに刺されるなど、ほとんどの役員、幹部社員は直前まで気がつかなかったと思います。ウットラムを下に見ていました。

本丸を外資に明け渡してしまったのですから、もうこれは済んだことです。しかし今回の乗っ取りがマイナス面ばかりかと言うとそうでもないと思います。日産のゴーンさんやシャープの例もあり、外国人の経営によって、旧態然があらたまり、企業価値が高まる可能性はあります。これから、革新的な戦略、人事制度の導入、人事異動、リストラが始まるでしょう。ゴー氏はそれによって企業価値を向上させるのです。問題は現在の優秀だけれど甘い、ゆるい、危機感のない社員がそれについていけるかどうかです。もちろんその急激な変化について行けず辞める社員も出てくるでしょう。それは当然です。しかし現在の社員をゴー氏+5人の新経営陣がその気にさせて力を出させないと、業績は一気に落ちて行くでしょう。旧体制派の4人は近々、ゴー氏に近い人と交替になるでしょう。それが経営の現実です。残しておいたら逆クーデターの可能性があります。

私の得た今回のクーデターからの教訓です。①どんなに長いつきあいで信義があろうと、ビジネスは経営権を如何に取るかと、経済合理性で動いていることを再認識すること。人間同士の過度の信頼・信用は仇になる。最後は情では会社は動かない。②リーダーに求められるのは、先を、人を甘さなしで鋭く読む洞察力と、それを実行する強いリーダーシップである。優しいだけの人気の高い、いい人、弱いトップは不要である。リーダーが強くなくては会社を守れない。危機に合ったら戦う勇気は絶対に必要です。(国も同じです)③危機感はトップも社員もいつも持っていないといけない。そのために社内は厳しく向き合い、おかしなこと、怪しいことは自由に言い会える環境にしないといけない。絶対にゴー氏の狙いがわかっていた幹部社員はいたはずです。

きょうは長くなりましたが、それでは、チュース!!

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