548.第2の故郷、欧州でのんびり旅日記スタート

毎年、海外に出てのんびり気ままに、気に入ったところをうろうろして、美味しいものを食べて飲んで、昔の仲間にあうのが楽しみなっています。今年も、ベルギー、オランダ、イングランド、とくに大好きなコッツウォルズを訪ねてきます。今回は、目と耳だけでなく、5感で感じる+第6感で感じる旅にしようと思っています。つまり、極力頭は使わない、考えない、といっても今、ブログ書いていますから多少は使いますが。

欧州へは、JALのヘルシンキ経由を使っています。成田-ヘルシンキだと約9時間のフライト、他の直行便より2~3時間短くて、一休みしてから各地に飛ぶのが気に入ってます。それから、ヘルシンキの町も好きで、1泊してそこでぶらっと、街歩きして、ヘルシンキの旧友との再会が定番になっています。というわけで、JAL便を予約したのですが、フィンランド航空との共同運航便で、今まではJALカウンターでチェックインしてくれたのですが、FINAIRに行けと言われ、行くとFINAIRには、Frajile という壊れ物注意のサービスはないと言われ、電子機器が入っていたのですが、いまさら手荷物にを変えるわけにもいけず、そのまま頼みました。成田空港もLCC便に客を取られているのか、第2ターミナルはかなり閑散とし、ショッピング街も小さくなりました。ちょっと行かないと空港もかなり変わります。でも空港は何度来ても、ワクワクの高揚感があって良いところです。

バカンスシーズンなので欧州便は満席です。フィンランド航空と言っても、人口550万人の国ですから、客は8割は日本人、あとは言葉からフィンランド以外の欧州人のようでした。私の、右横、前、右斜め後ろはアラフォーシングル女子と母親のふたり旅で、イタリア、スペインへの旅のようでした。かなり旅慣れていて、早々に持参した機内スリッパに履き替え、リラックス、話の様子から、女子は都内で働く、派遣社員、フリーターと推定、親の自宅に同居するパラサイトシングルでした。欧州への旅は年に、1、2度、親子で出かけているようです。専門職ではないようなので、手取りは月15~20万円。東京一人暮らしならたいへんでしょうが、親と同居なら楽勝でしょう。親子関係の親密性もばっちりで、親も老後をみてもらうからか、娘にとても気を使っています。旅の費用も親もちのようでした。娘も住居確保と親の生きている間は、親の年金もあてにできますから、ほどほどの良い生活はできます。聞き耳を立てたわけではないのですが、男、彼氏の話は全くでてきません。たぶん彼女たちも若い頃は、自分の望む男を探して恋愛もしたのでしょうが、もうそれは諦めて、男がいなくても結婚しなくても、子供がいなくても、楽しい、幸せな生活をしています。たぶんこういう女性が増えて非婚率上昇、少子化が進んでいくのだと実感します。メディア、本で得た情報と同じです。まあ、そんなことを少しだけ感じながら、すぐにヘルシンキ空港に到着です。では、これから、欧州の紀行文を少し続けます。

それでは、チュース!!

 

 

 

 

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547.「努力したら負け」はまともな本だった その2

前号の続きです。嫌いな人も多いと思いますが、一般の日本人の本質をついている部分はアルと思います。

<努力が報われないのは社会のせい?>

・ワーキングプアの特徴は、働いたらその分だけ誰かから給与としてお金がもらえる。起業という考えはない。発想力が貧困なのである。

・日本人は幸せすぎて,種としての生命力を失いつつある。ギラギラしないで、生きて行くことが可能である。

⇒発想力は確かにキ―ですが、しかしそれも才能、遺伝だと思います。凡人には難しい。秀才の著者は凡人の気持ちはわからないと思います。いまの日本は先人たちの理想の社会に近いと思います。世界を歩いて見ても日本はホントに良い国です。住んでいる人はその意識はないですが。アジアの国に比べるとハングリーさ全くないです。そのうち逆転される可能性あります。

<才能の不都合な真実>

・生まれ持った才能で活躍している人を、うらやむのは、自分の持っている才能に気づいていない人。

⇒これに気づける人はホントに少ない。気づくのも才能だと思います。

・やっかむのは、「俺だって出来そうなのに、なんであいつだけ評価されるの?」という不条理を感じるから。

・誠実、勤勉な人ほど、ドス黒い感情を持つ。彼らは、真面目に頑張っているのになぜか報われないという感じを持ちやすい。心理的にはしんどい人生を送る。どうしても他人と比較しての人生になってしまう。誠実であることを自ら課す、内心我慢している。

・努力家は他人の才能を潰す。能力が低いのに努力してのし上がってきた人間は、他人の才能を見抜いて潰しにかかる。

・他人の才能を潰そうとしている人の衝動は制御できない。だからできるだけ近づかないように、衝動を起こさせないことも大切、相手のためのも。どうしてもの時は、アンダードッグ効果、意図的に自分を低く見せておくのが無難。

⇒普段おとなしく、まじめにやっている人ほど、心の深いところでは不公平への不満が強い。才能をつぶす人は最低であるが、実際には上で保身に入っている人は、たいていこの行動を取ります。それに負けてはいけません。戦わないで逃げるのです。

<あなたの才能の見つけかた>

・自分に与えられたカードでいかに勝負していくか。

・容姿の美醜は、才能の極み、残酷な要素である。

・美しいからといってそのまま成功が約束されているわけではなく、美しくないことがそのまま敗北とはならない。

・香川照之 樹木希林 個性俳優の選択が正解である。

・才能があるかないかというのは、自分が持っている適正を知って、自分の評価軸を確立できているかどうかということ。脇役、キャラクターダンサーは知っている。

・もしも自分の才能がないと、思ったら自分を取り巻く環境と自分の持っている資質にどこが適合しないのか、考える機会を与えられたと思う。

⇒これは難しい、能力がいります。

・他人のほうが才能を見抜きやすい。コーチ、メンターは重要である。

・現実社会で必要とされる能力は、稼ぐ(エサを取る)、同種の個体と仲良くして情報交換して生き延びる、他人の顔色を見て自分の行動を決める、他人を言いくるめる、他人の優れた能力を使う、自分の怒りを抑える、嫌な気分になっても立ち直れる、しかし、これは現在の入試制度では測れない。(大泉洋は2浪してすべりどめの北海学園大学に入るも、非凡な才能が開花、大スターになる。入試では彼の才能は計れない。)

<意志力は夢を叶える原動力>

・素質がないのにその分野で努力するのは、愚かな行為である。しかし、自分にどんな適性があり、何ができるかを見抜いた上で努力するなら、「努力の才能」があると言える。

・意志力の教育は、自制心を鍛える、忖度して相手の気持ちを読む、目先より将来の大きな利益を選択する、などのトレーニングが有効である。

・20才までは、よく食べ、よく眠り、よく遊んで、刺激を脳にたくさん与えることが重要、ミエリン化の促進。

・子供の頃は愛情たっぷりに、与えないといけない、愛情が脳にとっての栄養である。

<努力をしない努力をする>

・できるだけ努力しないで生きることが一番大切、自分のできる、できないの理解と同様に、自分の周りを観察して、できないことをお願いする。これが人間が生き延び繁栄した最大要因。

・人に気持ち良くお願いやってもらうトレーニングをする。

・自分でやってしまうと、人が育たない。早く、間違いなくはできるが。権限委譲できない管理職で、個人能力の高さと努力が周囲の芽をつぶしてしまう。

・年をとったら、才能よりも経験値、知識の深度からくる判断力、意志決定能力が向上してくる。

・努力をしない努力は、人を見抜く力。水滸伝の梁山泊。

・才能がある人を使うには、ほめること、自分が気がついていない長所を見つけて褒める。

事実に基づいたリアリティベースにほめる。ひとたらし になる。

・長所に気づく、理解する、話を聞く、関心を持つ相手に好意を持つ。これが人を引き付ける。

・努力しなくても、楽しそうな人たちは、生まれつきの遺伝子、セロトニンが多く、先のことは心配せず、いきあたりばったりでも幸せに感じられる人である。

・幸せ感は少ないが、地道に努力してなにかを成し遂げたことを誇りに思って充実感を感じるのが日本人かもしれない。

・長生きしたけりゃ努力はするな、長寿の秘訣は、戦わないこと、無駄な努力はしないこと。

・人生死ぬ時に一番思うこと、緩和ケアの話、「あんなに一生懸命働かなくても良かった。」

「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てれば良かった」「もっと自分を幸せにしてあげれば良かった」

⇒努力しない努力は必要なのです。自分の真のゴールに向かえる努力に集中するのです。最後の緩和ケアの話は重いです。そうなるまえに自分のための人生を送るよう努力しましょう。周囲や世間に少しは迷惑かけてもいいので。いい人を早くやめましょう。それは誰かに使われているだけです。

<おわりに>

・努力信仰に惑わされず、目の前にある毎日を豊かに味わっていけば良い。

⇒おわりに、が筆者の結論です。将来に過大な期待をかけず、いまいる自分を肯定して、いまの状態を幸せと感じられればそれでいい、ということです。努力したら負けというのは、無駄な努力ということです。そんなことは言われなくてもみなさん、わかっていますよね。

わかっちゃいるけど・・・・です。

それでは、チュース!!

 

546.「努力したら負け」は、まともな本だった。

かなりショッキングな題名に惹かれて読んでみました。副題は「頑張っているのに報われないと思っている方に」、でたいていの日本人なら思いあたる、いいキャッチです。出版社がつけたのでしょうが、新鋭の脳科学者、中野信子氏著の本です。中味は、実にオ―ソドックスで、かなりデフォルメは効いてますが、読みやすく、そうだよなと7割くらいは、共感できる内容でした。私が面白かったところの章ごとの抜粋と、私のコメントをあげてみます。

<はじめに>

・明石家さんま師匠曰く、努力は報われると思う人はだめですね、見返りを期待して、楽しくもないのに苦痛を伴う努力を重ね、恨みを溜めこむくらいならやめたほうがいい。好きだからやってる、だけがいい。これだけやっているのに何でって思うから腹が立つ。

⇒さすが師匠で、彼の芸は表には努力は見えてこない。好きなことを見つけることが、まず第一ということでしょう。

<努力は報われるは本当か>

・才能は遺伝的に決まっている。つまり「努力は報われる」はウソである。

・為末大 やればできるというのは成功者の言い分であり、アスリートとして成功するには、アスリート向きの体で生まれたかどうかが99%。成功者が語ることは、結果を出した理由付けである。

・エジソンは99%努力しても1%のヒラメキがなければ、無駄ということを言いたかった。

・難関大学受験の合否は、エピソード記憶が良いかどうかの遺伝で決まる。

⇒常日頃から、そう思っていたので全く同感、しかしこの言葉に騙される、惑わされる人は多い。

<1.努力は人間をダメにする>

・真の努力は成果を出すために必要な ①目的・目標を設定する ②戦略を立てる ③実行する ことである。

・アラフォーがやりがちな無駄な努力は、婚活 ターゲットを3高、イケメン、浮気なし、の無謀な目標設定をし、そのために「自分磨き」という無駄な努力をする。相手の立場を無視している。

・ただがむしゃらに頑張る努力は人間をスポイルする。努力教の信者になっている人多い

・努力そのものが楽しくなる、他のことが考えられない。努力が目的化する。

・努力という言葉は人を縛り、無料、あるいは安価な労働力として使いたい人が用いるレトリックであることが多い。真の努力とは違う

・努力は滅私奉公を良しとする。

⇒努力が目的化している人を、今の日本でもたくさん見ます。それは苦しいだけです。成長につながりません。

<そもそも日本人にとって努力とは何か?>

・戦時下、言論を封じる言葉「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」、こうした無謀な努力を賛美する精神性が、日本の敗因の遠縁になった。

・死ぬ限界までやれば、人ならざる何かが感応して助けてくれる。そんなカルト教団に近い信念が、ひとりひとりの戦いを支えていた。

・それは現代にも生きていて、甘美なポエムで人を鼓舞し、すぐに人を切り捨てる企業がある。

・江戸時代、努力は粋ではなかった。「遊ぶ」ということを尊んだ。遊びはプラスの概念であって、教養のある人や余裕のある人しかできない、高尚な粋なものであった。遊びは粋である。

・遊びは脳の栄養源、ヒトは努力より遊びがずっと重要な生き物である。

・日本人の勤勉が賛美されるのは、他者(諸外国含)にとって都合が良いから。しかし、「日々の生活を楽しむ」遊びの部分がヒトには必要である。

・人間以外の動物は合理的、エサを取る、子孫を残す、生き延びるための行動をする、だけである。人間は余分なことをしすぎている。

・無駄な部分(遊び)への視線がない人は、人を傷つけることを、厭わないひとである。

・欧米に努力中毒が少ないのは、遺伝的な問題、セレトニントランスポーターの密度の違い。心配性 小、おおらか 中、楽観的 多  日本は7割が少ないタイプ、だから心配性が多い。多いのは欧米人3割、日本人2%。空気読むには、少ないタイプが感性が鋭いので適している。欧米人は概して鈍感が多い。

・日本人は、慎重でヒトの言うことを良く聞き、空気読んで我慢するけれども、限界を超えるとぶちキレる国民性なのである。

・日本人は、自分を痛めつけることを努力と思っている人が多い。欧米は、目的をスムーズにやるためのもの。

・フランス人は「楽しんでこそ人生」。自己犠牲はバカの見本と捉える。彼らは人生を楽しくするために非常に努力している。

⇒努力が尊ばれて来たのは、明治以降、欧米列強に追い付け追い越せの時代背景がある。それはある程度、やむを得ないことだが、第2次世界大戦のころは、それをやりすぎ、いきすぎになり、個人を圧迫した。戦後数十年経つが、まだその努力文化を尊ぶ空気は、日本に根強くある。しかし、それはタブーであり、もの申すことは、組織の一員となるとたいへん難しい。

きょうは、このへんで終了です。まだ半分です。また次号以降、続きを書きます。

それでは、チュース!!

 

545.日本の「結婚不要社会」はリアルに来るかもしれない

マネジメント研修をしていますと、30代、40代の男女とも結婚しない人、しても離婚した人が、4割以上います。みんなインテリで頭の言い人です。考えると結婚はできない時代になったのかもしれません。樹木希林さんが、娘に結婚は分別のつかないうちにしろ、と言ったのは名言かもしれません。「婚活」とう言葉を世に浸透させた、社会学者 山田昌弘氏が「結婚不要社会」という本を出しました。どきっとするとともにそうだよな、と思う内容です。要約すると、

日本では結婚は困難な時代から不要な時代になる。近代社会では伝統的規範が緩み、社会生活での個人化が進んだ。その結果、2つの変化が起きた。①前近代では、男性は家業を継ぎ、家の存続と子孫を作るために結婚した。女性は家に嫁いだ。家業がなくなった近代では、仕事は自分で見つけて生計を立てなくてはならなくなった。②伝統的宗教や、家柄、地域のコミュニティに所属することが、人々のアイデンティティだったが、近代社会では、それらが衰退し自分を承認してくれる相手を自分で見つけなくてはならなくなった。

近代での結婚は家ではなく、個人の選択であり、結婚によって親から独立して行く。夫婦は経済的な独立単位に加えてアイデンティティの源泉となった。よって結婚は近代社会では家族形成の重要なイベントであり、個人にとって不可欠なものとなった。しかし今日現代では、個人化、自由化の傾向はさらに強まり、次の変化が起きている。①経済の進展で、男性雇用が不安定になり、夫の収入だけで妻子を養うことが難しくなった。特に低収入な男性には結婚は困難となった。また女性の労働市場への進出で、経済的に自立可能な女子は増えた。一方でフリーターなど低所得の職にしかつけない女性も多数おり、これも結婚に影響を与えている。②カップル関係の個人か、自由化が進み、性革命が起こり、結婚と性は別モノになった。そして離婚率の上昇により、結婚が必ずしも親密な関係の永続保証ではなくなった。

近代的結婚が困難になるなか、欧米と日本は異なる変化をしている。欧米は結婚せずに、事実婚、パートナーとの親密性は維持して、双方が経済的には自立した道を取る。日本は、パートナーがいなくても親密性は維持される仕組みがある。女性ならパラサイトシングルで、親との同居で親密性維持、経済的サポートが得られる。男性は一時的親密性を、キャバクラ、メイドカフェ、風俗などの場で市場から買うことができる。欧米社会では、パートナーがいないことは恥ずかしいという意識があるが、日本では、ちゃんとしたパートナーがいないとみっともないということらしい。それは日本では世間体、見栄のこだわる人が多く、安定や周囲からどう見られるかを気にするのである。と結論付けています。

一仮説にはすぎませんが、現代の社会の状況を的確に言い当てているようで、日本の将来が悲観的に見えてきます。結婚の前の恋愛も減っており、そのせいで結婚も減っています。既に見合い制度はなくなっていて、合コンがその代替かと思っていましたが、結婚までは多くは進展しません。そして結婚することに意味がない、価値がないと思う人が格段に増えてきているようです。当然子供の数も減少し、将来は移民に頼らざるを得ないかもしれないという仮説は真実味を増します。筆者が最後に書いていた、日本人は世間体を大事にする=ちゃんとした、ということにこだわる人が多いことが、問題の本質かと思います。実質的より形式的を好む傾向です。でもそれは中高年ではなく、若い人に多いと聞くと、ホントに困ったことです。

それでは、チュース!!

544.リア充な生活

若い人たちと話していると、リア充という言葉が最近良く出てきます。20代、30代くらいまででしょうか。ググってみると、趣味・仕事・人間関係など、実生活が充実している人のことを、言うのだそうです。ネット社会でバーチャルなSNSやゲームで多くの時間を費やす人が多い人に対する反意語のようです。仮想・バーチャルではなく、現実に友達、彼氏、彼女がいて、遊びに煩雑に行ったり、旅行に行ったりしている人や、良い仕事について充実、楽しんでいる人や、趣味、特技に没頭している人、お金があって、ファッション、お洒落がきている人たちのことを言うそうです。若い時は、外見、容姿や、スポーツ、学業が出来る人が目立ちますし、交友関係、恋愛関係も充実しますから、一般的には、そうでない人、周りの人から、そういう人たちは言われるようです。自分から、オレ、リア充とは言わないようです。自虐的にオレ、リア充ではないから、とは言うそうです。若者たちの中に入っての仲間として会話はないので、ホントのところはわかりませんが。

私の若い頃は、インターネットなどなくて、リアルな生活しかなかったので、もちろんこんな言葉はありません。いちいち、リアルとバーチャルを対比する言葉が出てきていることに、時代の変化を感じてしまいます。しかし、ふと自分のことを振り返ると、あこがれの充実の生活と現実の生活が、あったように思います。私は会社人間=社畜でしたから、自分の時間とエネルギーと能力を会社の仕事につぎ込みました。その対価として、昇進と報酬を得て、会社人としてのリア充を目指していました。しかし組織はピラミッドですから、上に行ける人はほんの一握りです。三菱商事で役員もなった友人の話では超優秀な商事の社員でも頭を使う仕事につけるのは5%であとの95%は兵隊で終わるそうです。特に今の時代は先行き不透明で会社にも余裕はなく、リストラ、役職定年はあたりまえです。子会社出向のポストはありません。頑張れば会社は見捨てずに面倒見てくれると言うのは幻想ですし、会社もそんな約束はしていません。勝手に思っているだけです。そして多くの人は、会社での夢を挫折、あきらめて現実を見るのです。しかし早目にその現実を受け入れることは悪いことではありません。自分にあった、隠していた真のリア充に取りかかれるのです。お金はそんなになくても、時間はありますから、じっくり考えて自分の好きなもの、興味のあることをいろいろやって、ホントに相性の合うモノを見つけて、深めて楽しんで行けるチャンスでもあるのです。これからの、サラリーマンは早目に自分のリア充な生活を見つけ、実践して行くことです。遅くとも50才くらいまでには決めましょう。もちろん会社で最後の、役員、常務、専務、社長レースに全力をかけられる人はラッキーな人です。是非チャレンジして、組織人としてのリア充を、目指しましょう。しかし、そうでない人も、楽しい、面白い充実した人生は人生後半で送れます。価値観の変換は必要ですが、どっちの道でも、死ぬ時は自分に合った生き方ができていれば、満足して死ねると思います。

そういう私も、50才で、会社を離れ、いま思えば自分のリア充生活に入れました。お金と健康の管理と自分の趣味、好奇心はわかっていましたから、着々とできましたし、いまも進行中です。自分で言ってはいけないのですが、まあまあリア充です

それでは、チュース!!

543.外交は、性善説ではできない

前号で経営者は性悪説でないとできない、と書きましたが、先週のG20の各国の首脳の様子を見ていますと、強烈な個性で自分は絶対に正しいという人たちばかりの集まりでした。表面的友好は演じていましたが、腹の中では全然違う事考えているなというのが、一目瞭然、悪役キャラの勢ぞろいでした。2000万不足年金問題や、消費税増税で国内ではとかく評判が良くないと報道される安倍首相ですが、あのような大舞台では本領発揮で、外国人に一歩も引かない姿勢、態度は日本の国益を代表するトップとしては頼もしく見えました。少なくとも他の外国首脳になめられてはいません。日本が単独で鎖国状態で、生活レベルを落とさずにやっていけるなら、国内での国民人気だけで良いのですが、グローバルの中で生き延びないといけない現状では、国際的にも一目置かれる政治家が必要です。一昔前までは、経済が世界の中で圧倒的に優位に立っていましたから、政治家は国内の事だけ対応していればよかったのですが、今はそういうわけにもいきません。

日本は、台湾を除く隣国、中国、ロシア、韓国と、歴史的に良い関係ではありませんが、それが普通だと思います。英国とアイルランド、中国とインドなど、隣国との関係は、もめるのが普通ですし、その緊張関係が解消する事は、将来的にも可能性は低く、それは時代によって優勢になったり、劣勢になったりするだけです。表面的には友好的に演じることは外交儀礼として大切ですが、相手の腹を、冷静に深読みして対応するのが外交だと思います。こちらが誠意を持って行けば、相手も応えてくれる世界ではありません。そこには利害しかありません。

表裏があるのがあたりまえの、英国人(ここではイングランド人)の好んでするジョークに次のようなのがあります。中級レストランに行った夫婦の会話で出てきた料理に、・靴みたいの堅い肉だな ・ワインはドライを頼んだのに甘すぎる ・サラダに虫が入ってる・ミディアムで頼んだのにウエルダンじゃないか、とボロクソに言っておきながら、ボーイがやってきて、きょうの料理は如何ですか、お口にあいましたか、と聞くと豹変して、すべてが美味しい、素晴らしい、lovely、excellent、の連発です。英国人のお世辞を信じてはいけません。まあ信じたフリでくらいにしておきましょう。純朴なドイツ人はよく、英国人の社交辞令に騙されます。仕事で仲良くなった英国人の友人から、今度ロンドンに来たらいつでも寄ってくれ、と言われて正直訪ねると、何しに来たの顔をされるのだそうです。

テーマからはずれますが自虐ネタの好きな英国人のジョーク、食事の前の挨拶は、欧州各国ではなんと言うか、日本人なら、いただきますですが、フランスはモナペティ、イタリアはモナペティート、ドイツはグーテンアピテート、原語の意味は、すべて良い食欲をで、転じて召し上がれになっているようです。では、英語ではなんというか?実は私も英国人が、食事の最初に定番の挨拶を言っているのを聞いたことがありません。英語では、Never mind と言うそうです。かなり、自虐的というか皮肉たっぷりです。英国民は美味しい食事にあまり関心がありません。

それでは、チュース!!

542.経営者は本質的には、性悪説で非情でなければならない

世の中のビジネス書や雑誌の期待されるトップ、経営者の理想像は、先読みができ、信頼厚く、責任感があり、人たらしであるなどと、良く書かれています。確かにそういうトップの下で働けたら部下は幸せなことは間違いありません。私もリーダシップ研修ではよく期待も含めてそう言います。そしてそれは書籍や理想の中では正しいと思います。

しかしながら、世の中の成功している経営者、変革リーダーは、私が身近で見て来た人、お会いした人で、人から聞いた話で、そんな人は少なかったです。というかそう言う善人は、騙されて会社を乗っ取られたり、優しすぎて業績悪化を招いて引責辞任になっています。経営者で一番大切な要素は、切り捨てることができる人、首にすることができる人だと思います。事業、技術、人、関係者でも、時代に合わないと判断したら、躊躇なく捨てること、断捨離できなければいけません。

過去にこだわって、周囲の目を気にして判断が遅れれば命取りです。自分が善人だから、善人でふるまえば相手も善意で返してくれると思う経営者は危険です。相手の裏を読まないとだめです。特に中国がそうですか、韓国、欧米でも性善説は通用しません。表向きで言っていることと腹で考えていること、行動してくることは真逆だと思ったほうが無難です。それくらいグローバルのビジネスは厳しいです。国内でしか仕事をしていない会社は当然そこが甘くなって海外にでるとなめられて、やられてしまいます。そう事例をたくさん見てきました。ゴーンさんも最初の5年間にやったことは素晴らしかったです。従来の技術のニッサンのマネジメントではできない英断を実行しました。まさに変革リーダーの象徴です。第2の創業をした富士フイルムの古森会長から私は、必ず相手の裏を読め、表面的な言動に騙されるなと、いつも言われていました。おまえは人に甘いから利用されると、まさに私の弱点でした。あとで経営者になってもその弱点は直りませんでした。第2の創業では、時代遅れになったアナログの銀塩フイルムを捨てました。技術だけでなく、そこに深く関わっていた人たちのリストラ、またディーラーも切り捨てました。いろんな抵抗勢力には持ち前の腕力と運の強さでに乗り切りました。

経営者に必要なのは、ロジックもですが、感性と反対を押し切って躊躇せずにやりきる行動力だと思います。もちろんコンフリクトは覚悟の上です。コンフリクトのない経営、変革はないのだとわりきらないとダメです。反対に人望厚く、社員、利害関係者みんなから慕われていた経営者は、変動期には、人の善意にたよりすぎて、決断できなくて沈んでいきます。経営者というのは厳しく、つらいものです。優しくて、共感力、シンパシーが強すぎる人には向いていないと感じています。経営者はいい人でなくていいのです。威厳があって、時代に合った決断力、行動力、なにより切り捨てることができれば良いのです。新規ビジネスを探すより、切り捨て力のほうが大事かもしれません。

それでは、チュース!!