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566.社畜の源流

台風15号は、千葉県に多大な損害を及ぼし、電気の全面復旧までにあと2週間かかると昨日東京電力が発表しました。電気はあるのが当たり前になっていますが、ないと本当に生活ができません。私もさっそく緊急用に七輪と豆炭をアマゾンで購入しました。ところで、ダイアモンドオンラインが、これに関して「台風15号で浮彫、日本人の社畜マインドの根深さ」というテーマで、電車が日中復旧すると用もないのにとりあえず、会社に向かう人たちで駅、電車は超満員という記事でした。まぜそこまでして、社畜の参勤交代とまで言われても、そこまでして会社に行かなくてはいけないのか、国や鉄道会社は不要不急の人は、電車に乗らないでといくら言っても、戦後何十年もこの風景は続いているようです。会社は、「気をつけて出社するように」「来ていないのは君だけだ」と来ない人を批判するので、行かざるを得ないのです。会社の同調圧力は絶大です。一昔前なら、台風が来ようとそんなのは関係ない、早めに来るとか、自分で考えて、いつも通り出社しろという会社がほとんどでしたから、その頃よりはよくなってはいます。

筆者によるとこの元凶は戦時中にあるのだそうです。戦時中大空襲があった次の日の朝日新聞1945.4.19に、「官吏も会社員もただ周囲に対するメンツだけで、勤務先に行っていないか。行くだけで、何もしないで引き上げるのなら非生産的、大空襲の次の日は、生産関係者だけの乗車にすべき」という社説、当時から何があっても会社にはいくという習慣、価値観が出来上がっていたのです。それは国家思想教育キャンペーンの「困難は秩序を重んじれば乗り越えられる」という徹底した洗脳教育で、鉄道輸送はパンクしそうになっても、日本国民のひたすら秩序、マナーを守ることを義務付けられた我慢してしまう習慣で乗り越えてしまったそうです。抜本策でなく我慢という暫定策で乗り切ったのです。これは、日本人の国民性よりも、習慣づけという叩き込みによって成し遂げられたという結論です。実際に空襲を受けた名古屋の工場の様子を、次の日の読売新聞1944.12.15は「被害にあった工場は、平常通り操業され、出勤率は向上した。これは実際に敵が来て、肝がすわり、覚悟ができた心理の表れである。全身を包む職場感が、彼らをたくましく鍛えている」とあります。近くのどこかの国のような状況です。空襲がきても、被害を受けても会社には普通にいかなければならない職場感が強く醸成されてしまっているのです。

この職場の特攻隊精神教育を受けた人たちが、戦後復興のリーダーになっていき、この令和の時代でも、「死ぬ気で働け、仕事取ってこい」「あたって砕けろ」「明日死ぬ以外は休暇とるな」などが、代々職場の特攻隊思想として受け継がれて今になっているのです。だから、台風くらいで会社に来られないなんでありえない、這ってでも来い、と思っている上司、職場風土の残っているところはまだ多くあります。個人の意向より、職場全体の雰囲気重視です。

たしかに、なるほどと思いました。日本人の勤勉性は、本来の性質によるものではなく、おかみや、上からの思想教育を、国民は従順に受けたか、周囲への影響を考えて個人としては抵抗できなかったのだと思います。戦時中の話を聞くと、兵隊の横柄さも嫌だったが、5人組の監視制度がなにより嫌だったと聞きます。隣組制度は監視制度です。すぐお上に通報されます。

それに加えて、私は、会社員は会社では、成果を上げることより、良い評価、評判を得ることが出世の条件ですから、台風の時に、来なかったというのは、評判を落とすかっこうの材料です。ですから、みんな何はともあれ、会社に行かないといけないのです。それはボーナスにすぐ効いてきます。リモートワークや在宅勤務が、話題になりますが、それは仕事の成果と評価が、きちんとつながっていることが前提です。上司が鉛筆なめなめで、評価が決まるとしたら、新しい働き方はうまくいかないでしょう。社畜をなくすには、組織、会社に頼らずに、生きていけるスキル、能力、資格を持つことです。医者、弁護士、会計士、看護師、栄養士、などは組織にいても社畜になる必要はないのです。嫌ならやめて、新しい職場を探すか、自営をすればよいのです。日本と、欧米、アジアで働く人たちを見て、日本人のストレスの元凶は社畜マインドにはまっているところにあると私は思っています。

それでは、チュース!!

 

354.今の時代に自分から社畜になるな

社畜とは、私が若いサラリーマンの頃、30年くらい前に有名になった言葉で、ウィキぺディアによれば、「社畜(しゃちく)とは、主に日本で社員として勤めている会社に飼いならされてしまい自分の意志と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマン、OLの状態の状態を揶揄したものである。「会社+家畜」から造語かつ俗語で、かなり外部から馬鹿にされる意味合いを持つ」考案者は小説家の安藤敏氏であるが、世の中に広めたのは、超辛口評論家で知られる佐高信氏である。私の解釈を加えれば、社員をこき使うだけ使いながら、外の社会でも通用するような技術、スキル、そして自信は持たせません。その固有の会社だけでしか働けないようにします。

当時は圧倒的に会社側が権力を持ち、新卒採用した若手男子を徹底的に会社の色に染める洗脳に近い教育、OJTを繰り返していました。社員を早期に社畜にすることが生産性を高めるのに好都合と会社は判断していました。だから罵詈雑言はあたりまえ、灰皿、ファイルが空中を飛んでいました。パワハラなどの言葉はなく、部下指導という名目で上司はなにをやっても良く会社側も業績さえ上げていれば黙認していました。自分の意見や、考えなど持たずに上司の言う言葉に従順に従っていればよかったというか、従っていたほうが出世は早かったのです。だから多数の社員は自ら進んで社畜になっていったのです。モノ申す社員はだいたいはじかれます。会社のビジネスモデルは安定していて、革新的な戦略など持たなくても多少の戦術の焼き直しをやっていれば、なんとかなったのです。私は当時ある事業部の企画を担当していて営業部門に新しい提案をするのですが、古手の営業課長から、「おまえの新規提案なんてやらなくても99%は予算を達成できる。だから黙ってろ」とよく怒鳴られました。今でこそ私のいた富士フイルムの化粧品や医薬品ビジネスが革新的と評価されますが、今から20年前、銀塩写真フィルムが全盛の時にそんな提案をしたら、即刻その人は変人扱いされて仕事がなくなったでしょう。もちろんそんな人は当時いませんでした。

しかし、日本の社会が大きくかわり、既存のビジネスからの脱却がトップマネジメントの重要戦略にあげられ、会社の変革の教育、研修がさかんに行われています。しかしまだ会社の変革には従うけれど、その具体的なことまで自分は関わりたくないという人が受講生の中にけっこういます。会社は組織、管理職の自己変革を期待するのですが、やはり自己変革も会社の指示に従いたいという人、つまり自分で考えて、自分の言葉にして、行動していくのを嫌がる人がいるのです。私から見たら自分から社畜になろうとする人なのです。私は力がないので会社にぶら下がって生きて行くしかないのです、言われたことはなんでもやりますので、定年まで置いてください、です。よくぞそこまで開き直れたというのはすごいかもしれませんが、そこには生活のためだけが(もちろん生活は重要です)働くことの目的であり、自分がこうなりたい、こういう仕事をしたい、昇進して大きな仕事をしたいという向上心、野心のようなものが何もないのです。

私から見たら、30年前と比べたら、今の多くの会社の働く環境は格段によくなりました。その大きな違い、それは自分の意見、考えを本音で正直に話しても良い時代になりました。これはサラリーマンに大きな夢と希望を与えてくれる自由な環境なのです。しかし何も自分で考えずに思わなければ、このチャンスは全く活かせません。自ら社畜の道を選ぶようなことはしないでください。

それでは、チュース!!