カテゴリー別アーカイブ: 癖・価値観

583.自分の強みは変わらないが、価値観は環境、経験で変わる

20年くらい前から、ストレングスファインダー、35の特徴の中から自分の強み5個をwebでリストアップを、3年~5年おきにしていますが、上位5個のうち4個は全く変わりません。行動力、最大化、社交性、コミュニケーション力、あとのひとつは変わります。つまり、年齢を重ねても自分の強みは変わらないようです。

先日、あるビジネス講演の中で価値観についての話がありました。自分と価値観が近い人とは相性が合うので仕事がしやすいが、合わない人とはベースになる価値観が違っていることが多いという流れでした。ある学者が15の価値観を3つに分類していました。

  • 個人的、内的価値観⇒社会性、美的創造、定常、行動、安定、自律、挑戦、研究、私的
  • 外的価値観⇒経済報酬、権力、評価
  • 内的、人・組織⇒支援、チームワーク、指導

講師の方の見解では、会社、組織のトップになるには、人・組織の価値観を持たなければ適性がないとのことでしたが、私の経験では、組織トップは経済報酬、権力、評価の価値観の人が多かったように思います。価値観、それは個人の好き嫌いですから、どれでも良いのですが、ふと思ったのは、自分の価値観も時代、年代とともに変わってきたことです。

20代、30代、40台のサラリーマン時代、組織で上を目指していた時は、行動(まずは動く)、権力(力を持たなければ大きなことはできない)、挑戦(新しいことへのチャレンジ)、評価(周囲からの)でした。しかし、会社生活を終え、雇われ社長→この時は価値観は前とほぼ同じ、のあと、起業して自営になってから現在までは、生活の基盤を自分で維持しなけれならなくなり、価値観は、経済報酬、安定、私的(プライベート充実)が主になり、最近は若い世代への支援という想いも強くなってきました。価値観は変わるものです。

大きな会社にいる時や、雇われ社長の時は、経済的な面は保証され、自分の時間はほぼ会社のために使い、行動、挑戦、評価を気にしながら上を目指していたのでしょう。しかし、環境の変化、私の場合はあるどうしようもない事情で会社を辞めざるを得なかった時から、会社、組織に対する信用、信頼は大きく変わりました。そこに全エネルギーをかけても、それに見合った報酬、見返りは得られないという悟りです。自分の道(リアルに言うと、自分の食い扶持)は自分で探し、自分の力で生きなければいけないという覚悟かもしれません。

けれどもまだ、サラリーマンとして良い処遇、待遇を受け、まだ上に行けるチャンスのあるうちは、全エネルギーと時間を会社にかける価値観は、十分にありだと思います。私的なプライベートなことは、会社を終わってからでも間に合います。チャレンジできるうちはチャレンジがいいと私は思います。もしそうでなくなった時に、違う価値観を見つけて行動を変えていけばよいのです。それで、全然OKです。簡単に言えば、環境にあった、自分にあった価値観をその都度、見つけていけば良いのです。頑なにひとつの価値観で生きることが美学の人以外は、それで良いのです。

それでは、チュース!!

546.「努力したら負け」は、まともな本だった。

かなりショッキングな題名に惹かれて読んでみました。副題は「頑張っているのに報われないと思っている方に」、でたいていの日本人なら思いあたる、いいキャッチです。出版社がつけたのでしょうが、新鋭の脳科学者、中野信子氏著の本です。中味は、実にオ―ソドックスで、かなりデフォルメは効いてますが、読みやすく、そうだよなと7割くらいは、共感できる内容でした。私が面白かったところの章ごとの抜粋と、私のコメントをあげてみます。

<はじめに>

・明石家さんま師匠曰く、努力は報われると思う人はだめですね、見返りを期待して、楽しくもないのに苦痛を伴う努力を重ね、恨みを溜めこむくらいならやめたほうがいい。好きだからやってる、だけがいい。これだけやっているのに何でって思うから腹が立つ。

⇒さすが師匠で、彼の芸は表には努力は見えてこない。好きなことを見つけることが、まず第一ということでしょう。

<努力は報われるは本当か>

・才能は遺伝的に決まっている。つまり「努力は報われる」はウソである。

・為末大 やればできるというのは成功者の言い分であり、アスリートとして成功するには、アスリート向きの体で生まれたかどうかが99%。成功者が語ることは、結果を出した理由付けである。

・エジソンは99%努力しても1%のヒラメキがなければ、無駄ということを言いたかった。

・難関大学受験の合否は、エピソード記憶が良いかどうかの遺伝で決まる。

⇒常日頃から、そう思っていたので全く同感、しかしこの言葉に騙される、惑わされる人は多い。

<1.努力は人間をダメにする>

・真の努力は成果を出すために必要な ①目的・目標を設定する ②戦略を立てる ③実行する ことである。

・アラフォーがやりがちな無駄な努力は、婚活 ターゲットを3高、イケメン、浮気なし、の無謀な目標設定をし、そのために「自分磨き」という無駄な努力をする。相手の立場を無視している。

・ただがむしゃらに頑張る努力は人間をスポイルする。努力教の信者になっている人多い

・努力そのものが楽しくなる、他のことが考えられない。努力が目的化する。

・努力という言葉は人を縛り、無料、あるいは安価な労働力として使いたい人が用いるレトリックであることが多い。真の努力とは違う

・努力は滅私奉公を良しとする。

⇒努力が目的化している人を、今の日本でもたくさん見ます。それは苦しいだけです。成長につながりません。

<そもそも日本人にとって努力とは何か?>

・戦時下、言論を封じる言葉「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」、こうした無謀な努力を賛美する精神性が、日本の敗因の遠縁になった。

・死ぬ限界までやれば、人ならざる何かが感応して助けてくれる。そんなカルト教団に近い信念が、ひとりひとりの戦いを支えていた。

・それは現代にも生きていて、甘美なポエムで人を鼓舞し、すぐに人を切り捨てる企業がある。

・江戸時代、努力は粋ではなかった。「遊ぶ」ということを尊んだ。遊びはプラスの概念であって、教養のある人や余裕のある人しかできない、高尚な粋なものであった。遊びは粋である。

・遊びは脳の栄養源、ヒトは努力より遊びがずっと重要な生き物である。

・日本人の勤勉が賛美されるのは、他者(諸外国含)にとって都合が良いから。しかし、「日々の生活を楽しむ」遊びの部分がヒトには必要である。

・人間以外の動物は合理的、エサを取る、子孫を残す、生き延びるための行動をする、だけである。人間は余分なことをしすぎている。

・無駄な部分(遊び)への視線がない人は、人を傷つけることを、厭わないひとである。

・欧米に努力中毒が少ないのは、遺伝的な問題、セレトニントランスポーターの密度の違い。心配性 小、おおらか 中、楽観的 多  日本は7割が少ないタイプ、だから心配性が多い。多いのは欧米人3割、日本人2%。空気読むには、少ないタイプが感性が鋭いので適している。欧米人は概して鈍感が多い。

・日本人は、慎重でヒトの言うことを良く聞き、空気読んで我慢するけれども、限界を超えるとぶちキレる国民性なのである。

・日本人は、自分を痛めつけることを努力と思っている人が多い。欧米は、目的をスムーズにやるためのもの。

・フランス人は「楽しんでこそ人生」。自己犠牲はバカの見本と捉える。彼らは人生を楽しくするために非常に努力している。

⇒努力が尊ばれて来たのは、明治以降、欧米列強に追い付け追い越せの時代背景がある。それはある程度、やむを得ないことだが、第2次世界大戦のころは、それをやりすぎ、いきすぎになり、個人を圧迫した。戦後数十年経つが、まだその努力文化を尊ぶ空気は、日本に根強くある。しかし、それはタブーであり、もの申すことは、組織の一員となるとたいへん難しい。

きょうは、このへんで終了です。まだ半分です。また次号以降、続きを書きます。

それでは、チュース!!

 

497.枠の中が良いか、自由が良いか

今朝8時過ぎに、サラリーマン時代からの友人から電話がありました。内容は研修の仕事の打診でしたが、その時間に驚きました。早いのです。彼はサラリーマンで順調に出世し最後はグループ会社の社長で退職、まだ元気だしちょっと時間つぶしでパートタイムの顧問をしていたところ、そこの社長に請われて今は取締役としてフルタイムで働いています。会社も2部上場のメーカーです。その会社で始業の朝8時からのラジオ体操をした直後に電話をしてきました。無事サラリーマンを勤めあげ、お金の余裕もあるのに、なんで朝8時からラジオ体操しなければならない会社で働いてるの?、もっと自由に働けばと素朴な質問をしたところその答えは意外でした。「お前(私)は若い時から、会社は管理が厳しく自由がないと文句言っていたけど、おれは会社の管理を不自由だと思ったことないよ、枠の中で枠に拘束されているほうが楽だよ、だから朝8時からの体操は最高で、さあこれから1日頑張ろうという気になるのよ」とのことでした。

私は常々自由がいい、時間も仕事も自由で命令されたり、ルール、規則で管理されるのは嫌いでした。しかし多くのサラリーマンも嫌々ながらそれに従わざるを得ないからとみんなやっている思っていましたが、枠の中で働いたほうが気楽だし、やりやすいと思っている人も大勢いることがこの年になってわかりました。私のひとりよがりな考えでした。確かに会社の枠が嫌で、独立していった人もたくさんいます。自分の能力、スキル、経験は十分で会社外で通用すると思ったのですが、それは間違いで会社の営業力、信用、ブランド、があるからこその自分の能力、スキルということに気づき、起業したものの仕事が取れずに再度別の会社に再就職する人もたくさんいます。そうすると多少窮屈でも会社や組織にいるほうが楽だし、自分の専門能力、スキルに専念できるのかもしれません。起業して一番たいへんなのは営業力、仕事を取ってくる力、お客さんを見つけることです。だから私も起業はしましたが今は営業はほとんどエージェントさんにお任せしています。そして自分の得意な専門分野で価値を出しています。会社は別ですが一種の分業です。それでうまくワークしています。10年やってみた結論です。

昔、オーストリアのウイーンで、東欧に帰国するための教育、研修、宿泊施設を見たことがあります。ウイーンは地図を見るとわかるように西欧では一番東にあり、北、東、南は東欧の国でした。ですから東欧から自由に憧れて亡命してきた人たちがたくさんいました。しかしいざ西欧に来てみると、自由の代償としてすべて自分でやらなければなりません。教育、仕事、収入、言語、人間関係も自立が原則です。それは東欧でなんでも国家が準備してくれていた人々には過酷なことでした。ですから、やっぱり母国に戻りたいという人もたくさん出てきて、そこはその帰国前の準備施設と聞きました。西欧は夢の国ではなく厳しい競争社会の国だったのです。

自由(自営)と枠(組織)は、本来対立するものですし、2者択一が普通です。自分の性格、能力、好き嫌いを十分吟味、観察してから進めていくのが良いと思います。相反するほうに幻想を抱きすぎず、じっくり現実的にみていくのが良いです。

それでは、チュース!!

 

464.会社では一匹オオカミはやめて、仲間を作ろう

多くの会社を見てきて、その中のリーダーになって活躍している人を見ると共通のことがわかります。それは、どんなに優秀でも孤高の一匹オオカミに見えてしまう人は、マネジメントの中では力を発揮できず、一人で埋没してしまうことが多いです。逆にそこそこの能力でも、仲間作りの上手い人、それも、上司を含む上層部、同僚、部下に多くの仲間がいる人は実力かそれ以上に力を発揮して大きな成果をあげていることです。つまり、タテ、ヨコ、ナナメに仲間=味方がたくさんいるのです。どんなに強いリーダーに見えても必ず良いフォロアー、仲間がいます。

もちろん会社の中には相性が悪かったり価値観の違う人もいますから、全員と仲良くは無理です。しかし日頃からキーになる人間と時間をかけて、じっくり話し合うことは大切です。仲間がいて良いことは、何かチャレンジするようなこと、大きな変革テーマにあたる時、進んでフォローしてくれる、協力してくれる人がフォーマルにもインフォーマルにもたくさんいることです。また失敗したり、逆境になった時に、親身になってアドバイスやサポートしてくる人がたくさんいます。上司とケンカして会社を辞めようと思った時に、ナナメ上の偉い人が救ってくれる、自分の所に引っ張ってくれる話はホントに良く聞きます。

一方で一匹オオカミタイプは、理論は正しく個の力はあっても、大きな波、ムーブメントは起こせないことが多いです。役職や権力だけである程度動かせても大きなうねりは作れませ。これは私の反省ですが、私はサラリーマン時代後者だったと思います。個人として実力があって成果を出せればそれで良いと思っていました。人間は嫌いではないのですが、群れることが好きでないという理由で一人でやってきた気がします。今でも、好きな人は孤高のナチュラリスト「森の生活」のソローや、アメリカのバーモントで一人暮らしたガーデニング絵本作のターシャ・チュ―ダ、古くは老子です。やってきたスポーツもテニス、スキ―、ゴルフの個人でやるもの、チームプレーはあまりやってきませんでした。もとから個が好きな人間だったかもしれませんが、会社では少し変えるべきでした。9年前に起業して、個人の力でやっているこの仕事は性にあっているかもしれません。

今、会社元気に頑張っている人、これから頑張ろうとしている若い人へのアドバイスです。一匹オオカミはやめて、仲間を作りましょう。そのほうが大きな仕事ができますし、逆境乗り越えられます。ひとりでハッピーになるより、みんなハッピーになるほうが楽しみはより深く、大きくなります。

それでは、チュース!!

410.相撲界のルール・掟と世間の常識、どっちを優先するのか

先週、大相撲の地方巡業の時、土俵上で挨拶していた市長がクモ膜下出血で倒れ、周りにいた女性の看護師がとっさの救急対応で土俵に上がりました。それを見て担当の行司が場内放送で「女性は土俵から下りてください」と3回アナウンス、この状況のビデオがあっという間に拡散し、人命を軽視した大相撲の古いしきたり、因習とメディアに叩かれました。事態を重く見た相撲協会の八角理事長がすぐに「行司が動転して、不適切なアナウンスをしました、謝罪します。」と謝って事は終息の方向です。相撲は神事であり神様は女神で女性に嫉妬するから土俵に上げないというのが背景だそうですが、男尊女卑の言いわけ、女性は不浄の方便にしか聞こえてきません。

もしこの行司が、人命を優先し看護師女性が土俵に上がるのを看過して何も言わなかったらどうなったでしょう。縦社会の厳しい相撲界のこと、メディアからは怒られなかったでしょうが、先輩や親方からは、お前は相撲界の長い基本的な伝統ルールを知らないと言って、こっぴどくやられるか、暴力に甘いところですから鉄拳が飛んだでしょう。行司は理事長が言うように事態に動転したわけではないと思います。相撲界のルールにのっとり女性が土俵に上がることはいかなる理由があろうとも阻止したのです。ここでは、相撲界ルール>世間の人命最優先という常識 です。この行司は相撲界の中で生活しているのです。世間に食わせてもらっているわけではないのです。私は、この後この行司がメディアに追っかけられおもしろおかしく糾弾されるのはかわいそうだと思います。いくら話題になるといってもそれはやりすぎでしょう。救助にあたった看護師の人が、興業主催者から感謝状を送るという連絡に、あたりまえのことをしただけですから、静かにしておいて欲しいと固辞したのはと潔いし、退去アナウンスをした行司への配慮だと思います。実にできた方です。

そして組織のルール・掟が優先するのは、相撲界だけではありません。今世間を騒がしている、森友・加計の記録改ざんや、防衛省の南スーダン日報廃却の虚偽報告は、暗黙の官僚組織のルールとして政権に対しては忖度して政権が不利にならないように、自ら常識外の行動を選択しているのです。しかしかわいそうなのは、最後に責任を取らされるのはいつも下級、末端の実務担当者です。彼らは上からの指示もなく自分で間違った行動をしたという汚名を着せられて処分されるのです。上は何の責任も取らずにのうのうとしますが、組織延命のためには当然と言う風潮です。いわゆるとかげのしっぽ切りです。東芝の粉飾決算もそうです。私もサラリーマンの時、不正ではないかと上司に言ったところ、バレなければ大丈夫、バレないようにうまくやるのがお前の仕事、きれいごと言っているのではないと恫喝されたことがよくありました。バレなければいいと言うのが組織の暗黙ルールです。そしてばれると下の責任になり、上は知っていても知らなかったと言い、暗黙の指示は口頭でだしていても何も言っていないと言って逃げるのです。

なんとも、下級、末端実務者のリアルな悲哀です。最悪の時は自殺者も出ます。でも組織から離れては生きていけない人は、わかっていても悪に手を染めなくてはならないのです。組織に従わなければなりません。抵抗したら、だいたい干され、村八分になります。組織に従順であっても、抵抗しても、何かあった時には被害者意識にならず、開き直って強く生きていくしかないです。しゃあない、まっいいかの強い気持ちです。いずれまたいいことがあると信じていくしかないのです。今回のアナウンスをした若い行司さん、あなたが悪いのではないのです。ルールに従っただけです。世間のバッシングにめげずに強く生きて行ってください。

それでは、チュース!!

 

324.女優 樹木希林(きききりん)の哲学

樹木希林さんは、大きな存在感、リアリティ、雰囲気のある、私の好きな女優さんです。初めて見たのは、50年以上前のテレビドラマ「七人の孫」、そのあとも「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などで、名脇役として目立った人です。寺内貫太郎の時は、まだ31歳なのにおばあさん役、この女優さんは一貫して、自分よりずっと年上の老け役をしてきた人です。今は全身ガンと言いながら、話題作で次々とひょうひょうと主役をはっているなんとも不思議な人です。前々から彼女の背景にある価値観、哲学が興味を持っていました。先日AERAに独占インタビュー記事がありました。記事は彼女の哲学に触れていました。まずは、

1.人と違うことをやる。:子供の時の水泳大会の経験から、みっともない競技(ここでは歩き競争、人気のない種目)でも1位になればいい。もらう賞品は1位なら同じ。同年代の女優さんは老け役を嫌がる。自分は全然気にしないから、どんどん自分に役が回ってくる。

2.人と比較しない:小さい時からキラキラした希望や期待のある子ではなかった。何か目指して頑張ることもなかった。だから人と競争することがなかった。結果として人と自分を比較しなくなり、それが武器になった。

3.先のことは考えない:自分は全身ガンだから、死はいつくるかわからないし、いつでも来るものという覚悟をしている。だから約束、契約はすべて1年以内にする。

4.俯瞰でものを見る癖:子供の時かけっこはだめだけど、障害物競走は得意、俯瞰的に状況をながめて隙間を見つけてすりぬけて行くのは上手。それは脇役にも通じる。脇は出番がぽこっとあって、その前後の脇役の事情は描かれていない。だから自分の役の立ち位置を即座に理解できないと脇役は演じられない。

5.年をとったからといって人間成熟はしない:30代と70代の精神的なところは同じ、人間は年をとっても成熟はしない。だから30代の気持ちで70になってもやればいい。年をとってもふだんから好き勝手にやって、辛抱なんてしなくていい。

6.面白がらなきゃやっていけない:世の中は「老後はどう」「死はどう」って、頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて、予想外の連続。楽しむのではなくて世の中のことを面白がることが大切。楽しむというのは客観的だけど、自分が中に入って面白がればよい。そうじゃなければ、この世の中やっていけない。自分が一番面白いのは、ギャラ交渉を直接してる時で、女優に直接金額を言わないといけないからみんな困ってしまう。

なんか、希林さんの、たんたんと潔く、軽やかな言動の土台にあるものがわかって、私は参考になるというより面白くなりました。

それでは、チュース!!

247.ダイバーシティと関白宣言と男尊女卑

今や、どこの会社でもダイバーシティへの対応は重要課題になっており、私はその研修をすることもあります。その直訳は多様性・雑多ですから、今までの日本人、男性、健常者、新卒一括採用の同一性の高い社員相手の施策から、外国人、女性、ハンディキャップ、中途入社、パート、シニアまで含むさまざま社員への対応を考え、それを単に受け入れるだけでなく、その先には多様性の人のぶつかり合いによる化学変化を期待して、今までにない価値を生み出したいというポジティブな高い目的、目標もダイバーシティにはあります。

しかし多くの会社で、ダイバーシティ=女性活用で扱われているところもあります。昭和61年より施行された、男女雇用機会均等法で、職場における男女の差別を禁止し、募集・採用・昇給・昇進・教育訓練・定年・退職・解雇などの面で男女とも平等に扱うことが定められました。それから30年が過ぎ、その浸透具合は業種によって差があります。新興のサービス、アパレル、小売りは浸透度合いが高いですが、伝統的な重厚長大なメーカーや、老舗の金融ではなかなか進んでいません。私の行う部長対象の管理職研修で女性ゼロというのは普通にあります。ですから行政も女性管理職や女性役員の目標数字を掲げて指導していますが形だけに終わっている感もまだあります。

この時の女性と言うのは、2タイプがあります。いわゆる「チャック」と呼ばれる性別は女性ですが、チャックを開けると中味は男性同様で、結婚をしない人もありで、残業・休出OK、飲み会もすべて参加というタイプ。もうひとつは、結婚して(しなくても)、子供を産んで、育てながら働くというタイプです。ダイバーシティで主に取り上げるのは、後者の人たちです。後者の子供を生み、育てながらも十分に会社でもメインの仕事で活躍できる環境を作るというのがダイバーシティの端的な目的です。

しかしその背景には、日本の伝統的儒教の教えがベースとなる、男尊女卑→男女差別があり、それが嵩じてセクハラにもつながっていきます。セクハラは男性の職場女性に対しての勘違いから起こります。それは相手と自分との距離感、気持ち、解釈について違い、ギャップがあることに気付かずに発言、行動してしまい、何か起きると、自分はそんなつもりはなかったという釈明になります。まさか自分がセクハラで訴訟を起こされるなんて夢にも思いません。今は、自分がどう思っても相手が不快に感じる性的な言動はアウトなのです。ですからその予防のために、日常会社生活での言動、宴会やタクシーの乗り方まで事細かにマニュアルを作る会社も多いです。ちょっと行きすぎの感もありますが、セクハラ防止徹底のためにはやむを得ない対応でもあります。

話かわりますが、そんなことを考えていましたら、昔の歌の中には、けっこう男尊女卑、女性差別と取られるような歌詞があることを思い出しました。

さだまさしの「関白宣言」の中に

=俺より先に寝てはいけない。俺より後に起きてもいけない= ♪

=飯はうまく作れ、いつもきれいでいろ=

=お前は俺の処に家を捨ててくるのだから、帰る場所はないと思え=

今の若い女性なら、彼氏に「あなたに偉そうにそんなこと命令されたくない」とすぐ言うでしょう。

みなみこうせつ の「妹よ」 には

=妹よ、お前は器量が悪いのだから、俺はずいぶん心配していたんだ=

今の妹なら、言われたら、兄貴に「そんなこと大きなお世話、兄弟だからあなたも顔のことは言えない。自分の顔を見てから言ってよ」と即座に返してくるでしょう。

女性が強くなったというか、男性と対等になった証拠だと思います。良いことだと思います。しかし行きすぎて、女尊男卑にならないか、ちょっと心配です。若者世代は居酒屋でも飲み会を仕切っているのは女性が多く、男友達を呼び捨てにしています。新入社員採用も成績だけで取ると女性が上位を独占してしまうと言う話を良く聞きます。せめて男女均等であって欲しいと切に願う私です。男尊女卑は若者の世界ではもう死語です。

それでは、チュース!!