観光とレジャー、マリンスポーツ、ショッピングのグアムの知られている顔以外にに何かないかと探して、地球の歩き方117Pにあった繁華街から離れた島の南東部のタロフォフォ川のジャングル密林地帯ラッテ渓谷の半日リバークルーズに行って来ました。先住民チャモロ遺跡の復元村落を見るのと、その近くで1972年に27年一人で暮らして発見された、横居さんの暮らした環境に興味がありました。
バスでタモン地区から50分、島の中央部を超えて南に下ると、きれいな大西洋が見える湾につきます。そこから、のディズニージャングルクルーズみたいな船で、川を上っていくのですが、とにかく熱帯ですから暑いし、蒸します。虫、蚊がぶんぶんやってきて食われます。生の熱帯ジャングルが体感できたのは大きな収穫です。普通の文明人は絶対にここでは住めない。南国に来ても、涼しいきれいな環境の中でしか無理なのです。リゾートは作られた南国環境で実際の熱帯ジャングルはそんなものではないことよくわかりました。
これはツアー会社のパックですから、40人乗りの双胴船、レプリカのチャモロ集落、チャモロの衣装を着た若い男女たぶん高校か大学生のアルバイト、ヤシの実の繊維で火おこししてくれるコメディアンみたいな現地スタッフ、細長い葉っぱで、民芸品をその場で編んでプレゼントしてくれる老夫婦、船で日本語案内をしてくれるスタッフは仕事ですから、みんあ笑顔で対応してくれます。一人75ドルで、1日2回、私の時は、30人、そのうち8割は日本人ですから、1日60人として、1日50万円くらいの売り上げにはなるでしょう。年中無休ですから、月1500万になるいいビジネスかもしれません。しかし、そのためだけにスタッフと施設を維持するのはたいへんだなとビジネスを考えてしまいました。それから、日本人が多いのは、横井さんの発見されたジャングルが近いというにもあると思います。この地域は今でこそ、パイナップルやマンゴーのプラントがありますが、当時、横井さんの頃も、主食のタロイモ、自然のフルーツだけが食べ物です。ですから横井さんは、夜近隣の農家の鶏や野菜を盗んでいたようです。生きるためです。
戦後27年も、一人で熱帯ジャングルの自分で掘った穴の中で暮らせる精神力、生命力はすごすぎます。それから兵隊レベルでも、上官の命令は絶対として投降しなかった、当時の軍隊司式指示の過酷さは恐ろしくなります。現在、横井ケーブは私有地で見ることはできませんでしたが、その環境の厳しさ、すさまじさは、よくわかりました。あたりまえですが、他の外国人は、横井さんの英語の説明に全く興味を示していませんでした。
グアム島は、サイパン同様、悲惨な戦闘の歴史があります。最後の司令官が自害した場所もありましたが、そこは避けてしまいました。それから、グアムにいた日系人の話、日本軍駐留中は、国のためとして奴隷のようにこき使われ、米軍になってからは、収容所に入れられ、出てきても日系人ということで、差別され続けた暗い過去があるようです。その人たちにとっては、戦争は長く戦後も続いたようです。戦争は軍人以外、一般人にも大きな被害が出ること改めて感じました。
それでは、チュース!!