カテゴリー別アーカイブ: 日本 日本人

591.自由にモノが言えないのが、日本組織の息苦しさ

サラリーマン時代、私のいた会社、部門は、超トップダウンの階層社会で自由にモノを言うとたいへんなことになりました。その当時人事部の発案で自己申告制度がスタートしました。しかし、それは上長経由で人事部に報告されますから、上長にとって都合の悪いことは、全部上長の都合の良いように強制的に命令で書き直しになります。そうなると、やらされ感ゼロで、いつまでもこの職場にいたいということなります。それに抵抗などできる社員などいません。バツバツの評価になりますから上司の言いなりです。人事部の先輩から直接、私に質問があり、あの自己申告制度はいいだろうと自慢するので、上司が全部都合よく修正するから意味ないですよ、と気を許して言ってしまいました。その先輩も全く空気の読めない人で、私の上司に真正直なクレーム電話を入れ、そのせいで、私はその鬼上司から日曜日夜3時間電話で怒鳴られ、翌日午前中応接で絞られました。上司からなんで俺を陥れるのか、俺が出世できなかったらお前のせいだ、一生恨んでやると脅迫してきました。この人は極端でしたが、こんなパワハラも日常です。そんなパワハラ帝王でも、代取専務までのぼり詰めましたから、当時は会社も業績さえ上げれば、管理職の部下へのパワハラは黙認というか、厳しい部下指導とすり替えて奨励していました。この状態では、自由な発言など全く無理です。

あれから40年がたち、時代は変わり、きちがいのようなパワハラはなくなりましたが、自由にモノが言えない風土はあまり変わっていません。私のワークショップのグループ自由討議では、ここだけの話で外には出ないというと、どの会社、組織、階層でも本音ベースの話がどんどん飛び出し、相互作用で実に良い楽しい議論ができ、問題の本質まで、追い込み良い対応策も必ず出てきます。残念なのは、それが研修という場で終わってしまい、言わばガス抜き効果でしかないことです。みんな最後の感想で、こういう議論が自分の職場でもできるといいのだけど、とため息つきながら言う人が多いのです。それは、何故ですかと管理職の方に聞くと、長い間の会社の風土です、と会社の責任になります。その管理職の人が会議できょうは自由に発言しようと言っても、部下は何も言わないんだよと、今度は部下のせいにします。結局、自職場が活性化しないのは、他責で終わってしまうことがほとんどです。だから組織、会社は変わらないのです。

私はそういう時、確かにモノを言わせない上司では問題ですが、上司が納得するような言い方はありますよといいます。何を言うかも大事ですが、どう言うかもそれ以上に大切です。それから、部下がモノを言わないのはあなたが、そういう環境を作っているからと言います。部下から見たらあなたは怖いのです。何か言ったら仕返しされるかもという気持ちを持っているのです。そういう時は、気楽な雑談を管理職のあなたからして、雰囲気作りをしないと駄目なことを言うのですが、なんでそこまで上司が部下に気を使うのかと怒る人もいます。が、その人はその時点でNGです。世の中そういう時代なのです。

ただ、やはり日本人の議論嫌い、敬語に代表される序列を明確にしてからの発言は根深いものがあり、そう簡単には変わりません。グローバル化が遅れる最大の原因もここです。でも自分が変われば、自職場は変わり、自由な発言が出て、部下、後輩も元気に仕事に取り組むことも真実です。まず自分からです。

それでは、チュース!!

577.日本人と欧米人がチームになると上手くいく

ラグビーワールドカップ日本大会は、日本チームの大健闘と、予想以上の観衆、国民の大盛り上がりで大成功に終わりました。フィジカルの強さを見せつけた南アの最後は圧勝でした。心情的には、大好きなスコットランド、アイルランドの勝って欲しかったのですが、それはノーサイドです。感動をありがとうという気持ちになりました。

ところで今回の日本チームは、31人のメンバーのうち半分が外国人か、外国出身者です。日本人はもともと、大和魂という、単一民族、単一宗教、単一言語の中で成り立つ結束でチームとして強くなってきたような文化、伝統があります。しかし今回は、見事なダイバーシティーチームが結果を出しました。リーチ主将の卓越したリーダシップはもちろんですが、日本人と外国人がうまくチームとして溶け合っている感じはしました。これは素晴らしいことです。私も海外で欧米人と一緒にチームを作って仕事をたくさんしましたが、実にうまく行きました。仕事という共通の目的もありましたが、お互いの役割が、日本人と欧米人で実にうまく機能するのです。親しい海外の友人たちにその理由を聞くと、欧米人だけだと個が強すぎてぶつかりあうけど、日本人が間に入ると、その協調性、我慢強さ、謙虚さ、犠牲的精神、情熱が、強い個をうまく潤滑油のようにうまく結びつけるのだそうです。もちろん言いなりになって、便利屋、道具として使われることへの十分な注意は必要ですが、私たちは自分たちの特性を知ってうまくチームとしての力を引き出せればよいと思います。今回の日本ラグビーチームもそれがうまく機能した、ワークしたと思っています。これから、外国人とのチームによる仕事はますます増えていきます。世の中の必然です。うまく使っていきましょう。

しかし、私は、海外の赴任先で最悪のケースも見ています。それは英国人チームと日本人チームが反目しあい、敵視して、全く協力せず、悪口を言い合っている姿です。プロジェクト名も、ボクサーと相撲といって、あからさまに敵視しました。そもそもの原因は日本人リーダーの誤った選民意識で、日本人は優秀、英国人は愚かというレッテルをつけたことです。日本人チームだけのチームを作り、英国人チームとの違いを見せつけようとしました。その時の日本人トップの経営者も根深い欧米人への劣等感からそれをサポートしていました。信頼関係はゼロでした。結果も悲しいものでした。これからの社会は、外国人、日本人のそれぞれの個性、強みを合わせ、より強固になった、混成チームワークを作っていことがとても重要になっていきます。

それでは、チュース!!

 

 

566.社畜の源流

台風15号は、千葉県に多大な損害を及ぼし、電気の全面復旧までにあと2週間かかると昨日東京電力が発表しました。電気はあるのが当たり前になっていますが、ないと本当に生活ができません。私もさっそく緊急用に七輪と豆炭をアマゾンで購入しました。ところで、ダイアモンドオンラインが、これに関して「台風15号で浮彫、日本人の社畜マインドの根深さ」というテーマで、電車が日中復旧すると用もないのにとりあえず、会社に向かう人たちで駅、電車は超満員という記事でした。まぜそこまでして、社畜の参勤交代とまで言われても、そこまでして会社に行かなくてはいけないのか、国や鉄道会社は不要不急の人は、電車に乗らないでといくら言っても、戦後何十年もこの風景は続いているようです。会社は、「気をつけて出社するように」「来ていないのは君だけだ」と来ない人を批判するので、行かざるを得ないのです。会社の同調圧力は絶大です。一昔前なら、台風が来ようとそんなのは関係ない、早めに来るとか、自分で考えて、いつも通り出社しろという会社がほとんどでしたから、その頃よりはよくなってはいます。

筆者によるとこの元凶は戦時中にあるのだそうです。戦時中大空襲があった次の日の朝日新聞1945.4.19に、「官吏も会社員もただ周囲に対するメンツだけで、勤務先に行っていないか。行くだけで、何もしないで引き上げるのなら非生産的、大空襲の次の日は、生産関係者だけの乗車にすべき」という社説、当時から何があっても会社にはいくという習慣、価値観が出来上がっていたのです。それは国家思想教育キャンペーンの「困難は秩序を重んじれば乗り越えられる」という徹底した洗脳教育で、鉄道輸送はパンクしそうになっても、日本国民のひたすら秩序、マナーを守ることを義務付けられた我慢してしまう習慣で乗り越えてしまったそうです。抜本策でなく我慢という暫定策で乗り切ったのです。これは、日本人の国民性よりも、習慣づけという叩き込みによって成し遂げられたという結論です。実際に空襲を受けた名古屋の工場の様子を、次の日の読売新聞1944.12.15は「被害にあった工場は、平常通り操業され、出勤率は向上した。これは実際に敵が来て、肝がすわり、覚悟ができた心理の表れである。全身を包む職場感が、彼らをたくましく鍛えている」とあります。近くのどこかの国のような状況です。空襲がきても、被害を受けても会社には普通にいかなければならない職場感が強く醸成されてしまっているのです。

この職場の特攻隊精神教育を受けた人たちが、戦後復興のリーダーになっていき、この令和の時代でも、「死ぬ気で働け、仕事取ってこい」「あたって砕けろ」「明日死ぬ以外は休暇とるな」などが、代々職場の特攻隊思想として受け継がれて今になっているのです。だから、台風くらいで会社に来られないなんでありえない、這ってでも来い、と思っている上司、職場風土の残っているところはまだ多くあります。個人の意向より、職場全体の雰囲気重視です。

たしかに、なるほどと思いました。日本人の勤勉性は、本来の性質によるものではなく、おかみや、上からの思想教育を、国民は従順に受けたか、周囲への影響を考えて個人としては抵抗できなかったのだと思います。戦時中の話を聞くと、兵隊の横柄さも嫌だったが、5人組の監視制度がなにより嫌だったと聞きます。隣組制度は監視制度です。すぐお上に通報されます。

それに加えて、私は、会社員は会社では、成果を上げることより、良い評価、評判を得ることが出世の条件ですから、台風の時に、来なかったというのは、評判を落とすかっこうの材料です。ですから、みんな何はともあれ、会社に行かないといけないのです。それはボーナスにすぐ効いてきます。リモートワークや在宅勤務が、話題になりますが、それは仕事の成果と評価が、きちんとつながっていることが前提です。上司が鉛筆なめなめで、評価が決まるとしたら、新しい働き方はうまくいかないでしょう。社畜をなくすには、組織、会社に頼らずに、生きていけるスキル、能力、資格を持つことです。医者、弁護士、会計士、看護師、栄養士、などは組織にいても社畜になる必要はないのです。嫌ならやめて、新しい職場を探すか、自営をすればよいのです。日本と、欧米、アジアで働く人たちを見て、日本人のストレスの元凶は社畜マインドにはまっているところにあると私は思っています。

それでは、チュース!!

 

562.新幹線の運行管理は神業である。

先日、欧州でベルギー、ロンドン間のユーロスターに乗りました。ドーバー海峡をくぐって、370㎞を2時間10分、料金は片道7500円で、飛行機と比べると料金は同じくらい、ブリュッセル街中からロンドン街中のセントパンクラスに着きますから、空港までの足を考えると所要時間は同じです。通関や荷物検査は必要ですから、電車でも30分~1時間前に駅に行かないといけません。車両は18両、スピードや、車内の快適さは新幹線と同じです。しかし大きく違うのは、その本数、1日に9本しかないのです。だから、1時間半に1本くらい、ホームもブリュッセルは1本だけです。発着時刻前は混んではいますが、すべてはゆっくりしています。東海道新幹線は、ピーク時には1時間に15本、のぞみだけで10本走ります。それも、秒単位での遅れもないのですから、日本に慣れているとあたりまえですが、まさに神業です。日本人の勤勉さ、緻密さがなければ運営できません。私の近くの井の頭線のピーク時はもっと多いですが、世田谷線よりは新幹線の本数は上です。

昔、英国人を連れて新幹線に乗った時、車両のドアが開く場所の印を見て、説明したところ、そんなことはできるわけないと信じませんでした。本当に止まって驚嘆していました。ロンドンの地下鉄のある駅では、次の駅では、状況によって一番後ろの車両のドアは開かないから、降りる予定の人は前の車両に移るようにとのアナウンスがありました。彼らが鉄道に求める精度はその程度です。20分くらい遅れるのが当たり前で、たまに定刻に来て発車してしまうと、遅れてきた客が怒っているのを見ました。英国の地方を鉄道で旅していたら、線路の補修をしているので、その区間はバスになるから、降りて乗り換えろとのアナウンスが突然ありましたが、誰も文句言わずに乗り換えていました。そのへんは実に寛容です。日本の鉄道会社なら、5分の遅れでも、お忙しいところご迷惑を・・・、を何度もアナウンスします。工事で不通にするなどありえません。やりすぎだとも思いますが、日本人はそういうところは律儀というか、求めるところが高いのだと思います。

私はその頃、英国製の産業機械を日本で輸入販売する仕事をしていたのですが、不良の多いいい加減な英国製の機械を日本のお客さんが許すわけはなく、クレーム対応にたいへんでした。日本人の求める精度は高く、それを満足させている日本製品、サービスの品質は世界最高であることは、誰もが認めるところでまちがいありません。日本の誇れる強みです。

ただし、その精度の高さを、人間個人にもあてはめ、求めていることも事実です。人間ができる限界以上のことを客は求めてきますし、会社も社員もそれを受けて、結果苦しむことはよくあります。なかなか、できないとは言えない社会、会社なのです。

新幹線の過密運用は日本人でないとできないでしょう。世界に誇るトヨタ生産方式のジャストインタイムは日本の実直な生真面目な下請け部品会社でしか対応できず、現地調達は無理なので、多くの三河地域のトヨタ系列の会社が海外に出て行って、トヨタ式を実施しているのです。トヨタ式は、そのシステムよりも、それに対応できる日本人が素晴らしいのだと思います。しかし、それも行き過ぎるときついです。人間には限界があります。ほどほどにという考えも大事だと思います。過ぎたるは及ばざる・・・です。

それでは、チュース!!

558.感情を表に出すか、抑えさせるかの教育の違い

今、高校野球の真っ盛り、今日は強豪校がぶつかる準々決勝で、高校球児たちの熱戦が続いています。球児たちの真摯でひたむきな姿勢は感動的です。しかし気になることがいくつかあります。監督絶対支配の中で、選手は全く従順に口応えどころか、嫌な顔をせずになんでも従います。ちょっとでも反抗的な言動を取れば、即刻試合に出れなくなりますから、言う通り従わないといけません。それから、判定には絶対に服従で、落球していても、アウトカウントを審番が間違えても指摘できないのです。これは少し行き過ぎかとも思いますが、概ね日本の体育会系では、上が強いタテ社会があたりまえで、抵抗は許されません。おとなしく従うしかないのです。これは、規律が守られ、チームとしてのまとまりもでき、集団の目的に向かってまっしぐらな体制ができます。合わない人は排除されていますから、それは比較的容易です。

それは日本の社会、組織では普通です。私が良く言う、日本の社会の息苦しさの、自由にモノが言えない部分です。言ったら和を乱すという、公理がありますし、いわゆるムラ八分状態になります。でも日本は、そのタテ社会のほうがうまくまとまるということで長年続いてきているのだと思います。日本のスポーツは、柔道、剣道、弓道など道になりますから、勝ち負けより喜怒哀楽の感情を抑えた、礼が尊ばれます。それが日本の美徳、良さでもあります。モンゴルから来た相撲力士が、勝った時にガッツポーズを取り、相撲道の価値観から良く批判されているのはそのせいです。相撲は日本では、スポーツではなく道なのです。

一方、先日アメリカのゴルフジュニアの大会で、ボールを池に打ち込んだ少年が感情を抑えきれず、クラブを投げました。日本でしたら、いや私がコーチならすぐに、厳しくマナー、エチケット違反だとして指導します。周囲も不愉快にさせている。不完全な子供たちには大人がきちんと指導しないといけないというルールがあるからです。しかし、アメリカではその場で、コーチは注意しませんでした。だからアメリカ人の子供は粗暴なのだ、決めつけましたが、その時の解説者によると、アメリカでは子供自身がその行為はなんと愚かな行為だとわかるまで、ほっておくのだそうです。必ず子供は自分で気づき改めていく、とうことなのです。そんなに良い子供ばかりはいないだろう、とその時思い、今も半信半疑ですが、そういう考え方もあることはわかります。子供自身が納得するほうが良いにきまっています。これはアメリカのほうが、子供の個性を認めて大人扱いしてるのだと思います。

日本は子供は、徹底的に考えさせずにティーチングして手取り、足取り教えてあげないといけないと思っている社会だと思います。ある意味、子供の個性は尊重しないで、周囲、社会の望む姿にしようとしています。入社試験、入社式に親が付きそうは、あきらかに過保護でしょう。子離れできていません。もう少し、日本の子供たちの個性を認めて、ほったらかしはいけませんが、自分たちで考えさせて、喜怒哀楽を豊かに、感情を表に出しても良い環境を大人たちは、作ってあげても良いとおもいます。高校野球を見ながらそんなことを考えました。

それでは、チュース!!

553.日本人には自己肯定感が必要である

先日、日本人は先進国の中で、自己肯定感が最低という記事を見ました。これだけ経済的に繁栄し、数値の上ではトップクラスなのにもかかわらずです。英国人は相手とケンカになったら、必ずどんなことでもいいから最後の言葉を取れと教育されるそうです。自分が正しいことを相手に伝えるためだそうです。それに比べると日本の教育は、初等、中等、高等教育、運動部、会社、組織でも自己否定を要求してきます。素直さ、従順さ、謙虚さを要求してきます。生意気な態度、姿勢は排除されます。それは、支配する側にとっては管理しやすいからです。また自分も我慢して従っていれば、いずれ上になった時に同じことができるという期待からです。

その影響からか、マネジメント研修をしていると、部長、課長の方でも、謙虚、謙遜がすぎる人を多く見ます。そう言った姿勢のほうが安全に思っているか、それが習いせいになっています。たとえば、私はこの役職の器ではない、与えられた仕事ができる才能がない、です。うがった見方をすれば、どうも自分の才能ではこの仕事は無理だけれど、どうしてもというならやりますよ、でも失敗しても私の責任ではありませんよ、という前もっての言い訳に聞こえてしまいます。昔、サラリーマン時代に、定年で退職する先輩が、大過なくすごせて幸せでした、とあいさつしていました。何もしなければ失敗はないよね、私は思っていましたし、顔にも出ていましたから、かなり生意気な社員であったことは確かです。思っても顔に出してはいけないのが、日本社会の掟であることをその時は知らなかったのです。

私の自分を含めた経験、体験では30才前の、人として人格が固まるまえに、徹底的に自己否定を、親、周囲、教師、上司から受けた人間は、その後も自己肯定感を持てず、自分に自信がもてず、情緒不安定になってしまう人が出てきます。私は弱者への強者による人格否定は、犯罪だと思っています。いわゆるパワハラは犯罪です。強者側の理論では、それは教育、躾、強い人間にするための愛のムチというのが常套句ですが、それはほとんど間違っています。論理のすり替え、自己弁護にすぎません。自分が権力を使って下の人間を思うように使いたいだけです。人間、若いうちに自分の力で生きていけるという自信を持つこと、自己肯定感を持つことが、何より大切です。

元の話に戻りますが、自分の才能を過少評価してみせて、周囲への期待を意図的に低くして、結果、思ってたいたよりもやるね、というのも巧みな戦略ですが、かなりずるいやり方です。自分の評価は、正当に、適正に自分でも評価して周囲にアピールしましょう。それが一番、良い方法だと思います。そのためには、若い時から、自己肯定感、自信を持つ訓練、経験をしましょう。親はもちろんですが、良い先輩、上司を自分から探していきましょう。

それでは、チュース!!

 

 

545.日本の「結婚不要社会」はリアルに来るかもしれない

マネジメント研修をしていますと、30代、40代の男女とも結婚しない人、しても離婚した人が、4割以上います。みんなインテリで頭の言い人です。考えると結婚はできない時代になったのかもしれません。樹木希林さんが、娘に結婚は分別のつかないうちにしろ、と言ったのは名言かもしれません。「婚活」とう言葉を世に浸透させた、社会学者 山田昌弘氏が「結婚不要社会」という本を出しました。どきっとするとともにそうだよな、と思う内容です。要約すると、

日本では結婚は困難な時代から不要な時代になる。近代社会では伝統的規範が緩み、社会生活での個人化が進んだ。その結果、2つの変化が起きた。①前近代では、男性は家業を継ぎ、家の存続と子孫を作るために結婚した。女性は家に嫁いだ。家業がなくなった近代では、仕事は自分で見つけて生計を立てなくてはならなくなった。②伝統的宗教や、家柄、地域のコミュニティに所属することが、人々のアイデンティティだったが、近代社会では、それらが衰退し自分を承認してくれる相手を自分で見つけなくてはならなくなった。

近代での結婚は家ではなく、個人の選択であり、結婚によって親から独立して行く。夫婦は経済的な独立単位に加えてアイデンティティの源泉となった。よって結婚は近代社会では家族形成の重要なイベントであり、個人にとって不可欠なものとなった。しかし今日現代では、個人化、自由化の傾向はさらに強まり、次の変化が起きている。①経済の進展で、男性雇用が不安定になり、夫の収入だけで妻子を養うことが難しくなった。特に低収入な男性には結婚は困難となった。また女性の労働市場への進出で、経済的に自立可能な女子は増えた。一方でフリーターなど低所得の職にしかつけない女性も多数おり、これも結婚に影響を与えている。②カップル関係の個人か、自由化が進み、性革命が起こり、結婚と性は別モノになった。そして離婚率の上昇により、結婚が必ずしも親密な関係の永続保証ではなくなった。

近代的結婚が困難になるなか、欧米と日本は異なる変化をしている。欧米は結婚せずに、事実婚、パートナーとの親密性は維持して、双方が経済的には自立した道を取る。日本は、パートナーがいなくても親密性は維持される仕組みがある。女性ならパラサイトシングルで、親との同居で親密性維持、経済的サポートが得られる。男性は一時的親密性を、キャバクラ、メイドカフェ、風俗などの場で市場から買うことができる。欧米社会では、パートナーがいないことは恥ずかしいという意識があるが、日本では、ちゃんとしたパートナーがいないとみっともないということらしい。それは日本では世間体、見栄のこだわる人が多く、安定や周囲からどう見られるかを気にするのである。と結論付けています。

一仮説にはすぎませんが、現代の社会の状況を的確に言い当てているようで、日本の将来が悲観的に見えてきます。結婚の前の恋愛も減っており、そのせいで結婚も減っています。既に見合い制度はなくなっていて、合コンがその代替かと思っていましたが、結婚までは多くは進展しません。そして結婚することに意味がない、価値がないと思う人が格段に増えてきているようです。当然子供の数も減少し、将来は移民に頼らざるを得ないかもしれないという仮説は真実味を増します。筆者が最後に書いていた、日本人は世間体を大事にする=ちゃんとした、ということにこだわる人が多いことが、問題の本質かと思います。実質的より形式的を好む傾向です。でもそれは中高年ではなく、若い人に多いと聞くと、ホントに困ったことです。

それでは、チュース!!

507.優しさだけではうまくいかない、時には強くドライに。

かなり昔の映画のキャッチコピーに「強くなければ生きてはいけない、優しくなければ生きて行く価値がない」というのがありました。今は前者の部分は抜け落ちて、優しさばかりが強調される時代が続いているような気がします。会社でも強い上司はパワハラもあってかめっきり少なくなってきました。それで部下指導まで及び腰になってしまいます。若者世代も特に男子は草食系がすっかり多くなり女子に優しい人が増えました。世の中優しさ欲求満載です。

最近の研修で会社の若手社員と話していると、特に男子は優しい人が大半です。しかし優しいだけだとマイナス面も出てきます。それは①相手の事を考えて相手が喜んでくれることに価値を見出しているので、相手に合わすことに神経をいつも使って疲れてしまっているのです。適応過剰だと神経が疲れます。特に自律神経です。②人とのコンフリクト、対立を恐れるがための優しさで、人と関わることを拒否しています。人への興味も減ってきています。自分一人のゲームの世界に逃げ込む人は多いです。これでは深い関係性ができません。ナルシストが強くて自分が可愛いいので人から傷つけられたくないので人に優しい人もいます。③強い人、権力を持っている人に、強く出れば言うことを聞く人に見られて道具として便利に利用され使い捨てにされてしまいます。

やはり、優しいだけでは世の中、生きていけません。最初のキャッチで言った強く生きることも必要です。誰からも好かれようとしたり、友達100人作ることはやめて、自分の個性を出して相手を喜ばせると同時に自分も喜ぶ、楽しむことが大切です。そうなると、アドラーの言う「嫌われる勇気」が思いだされてきます。時には強く、ドライに相手に言いきる覚悟も大切です。

そういう私も仕事柄、いつも受講生、クライアントの気持ちを考えていることが多くて、神経を使います。外見強面に見えますが、けっこう優しいのだと思います(笑)。良く行くマッサージでは、神経とくに背骨の周りの神経が滞っていますよ、と良く言われます。お疲れですねと。仕事ですから、オンの時はそうなるのは仕方ないですが、オフはできるだけ、神経を使わないように頭を使わないようにしています。

優しくなったのは主に男子です。女子は元気です。多くの女子社員は、嫌われる勇気を持ってマイペースでガンガン行動して実力を発揮する人が多いです。女性活用はまだまだという会社もありますが、女性の方が優勢になりつつところも出てきました。サービス、金融、販売、人材教育、などはそうなってきました。

それでは、チュース!!

506.日本の会社でモノが言えないのは、モノを言わないことを好む忖度文化が原因でした。

NHK TVの8日金曜の夜、「チコちゃんに叱られる!」のテーマで「さようなら」の意味は何か、がありました。例によって「ぼーっと生きてんじゃないの」と叫んでました。わたしも、そういうことならば=さよう ならば、の最後のばが取れたくらいは知っていましたがその背景までは知りませんでした。チコちゃんの受け売りですが、要約すると次の通り。

さようなら は「これまでは、こうだったんだから、そうであるならば(さようならば)、この後は・・・・・・」という文章の簡略だったのです。さようならば の前後は種々多様な場面があり、状況によって変化するのですが、接続詞の意味のない「さようなら」だけが共通で残り、別れの言葉として残ったそうです。では、なぜ前後がなくなったのか? ここがかなり深いです。

日本の伝統的文化は、はっきりと言葉にしないで状況を察し合うことを好むのです。いちいち細かい事まで言葉で表現するのは、昔から粋でなかったのでしょう。すごくわかる気がします。お互いに空気を察して、あうんの呼吸で動くのが日本人は好きなのです。欧米の言葉では、別れの言葉は、①神に願う ②再会の約束 ③健康を願うの、3種類ですが明確で具体的な意味があります。しかし、日本では本来意味のない接続語が、別れの言葉になったのです。

状況を察し合う=忖度文化です。いちいち具体的指示をしなくても察して、動く、動くことができる人が、優秀な人物として評価され、登用され次の時代も同じ価値観、評価で代々その文化は継承されます。一を聞いて十を知り、自分の責任で動き、何かあっても上には責任取らせず、自分で腹を切る覚悟の人間が好人物となるのです。今の政治、会社と同じ構図です。

日本の会社の会議やワークショップで、場が盛り上がらず、沈黙が続くことがよくあります。なんで話さないのと聞いても黙っています。よくよく聞くと、そんな話みんなわかっているから、いまさらここで話す必要もない、との本音を聞きます。いやいや、それぞれの理解は同じに見えても違いますからここではっきりさせましょうと言っても進まないことはよくあります。つまりモノを言わない人は、言えないのはなく、言わないほうが良いと思っているのです。そこはガッテンガッテンです。この文化を変えるのはたいへんです。この文化で都合が良いのは、組織の上位役職者です。それはおわかりですよね。だから下の時は忖度文化に不平不満を言っていた人も出世するとそれは居心地が良いので変えないのです。

日本の会社、組織ならそれでOK、大丈夫です。根回しをきちんとしておけば、会議は全員一致で個々の議論、討議は不要です。そのほうが効率的化もしれません。しかし、これが海外とのビジネスだと一変します。日本流の忖度文化はありませんから、なんでもはっきりわかりやすく言わないとコミュニケーションが取れません。日本に慣れ切った日本人にとっては難しいことです。チコちゃんの「さようなら」話から、日本人の話さないことが良い文化がわかったのは良かったです。しかしこれは海外では全く通用しない文化であることも明白です。英語を習得しても話すことが良い文化であることを実感しないと、海外ではやっていけないことも確かです。

それでは、チュース!!

494.大阪なおみの全豪OP優勝は3才児の心でテニスをやり続けたから

さっき全豪テニスOPで大阪なおみ選手が、昨夏の全米OPに続いて優勝しました。日本人勢としては歴史的快挙です。2018.3.20のブログ404号でコーチの指導でメンタル面が強化され失敗した時メンタルでヤケになりプレーまで雑になる欠点が修正され、4大大会に次ぐトーナメントで初優勝した時のことです。全米、全豪に優勝、ランキングも世界1位になりまぐれではない、真の実力者です。

ではなぜ、彼女がなぜ世界一まで上り詰めることができたのか考えてみました。彼女は、日本人の母、ハイチ系アメリカ人を父に持ち、日本人にはない身体的能力を持っています。またアメリカに住みテニスは日本ではしていません。ですから日本でテニスを習いアメリカに留学したわけではなく、根っからのアメリカ仕込みです。彼女は自分でもプレーで落ち込むと3才児の自分なると自虐的にいいますが、3才児の心で自由に型にはめられず、自分の力を積極的に、攻められても窮地になっても同じ攻撃的スタイルは終始一貫しています。見ていてホントにあっぱれです。しかしもし日本でテニスを始めていたら、型にはめられ、保守的に我慢することを教えられ、かなりのレベルまでは行くでしょうが、あそこまで突き抜けた選手にはなれないでしょう。日本人として25年前に全豪ベスト4まで行った純粋の日本人も伊達選手、彼女も日本人としては完全にぶっ飛んでいて周囲とのまさつは一切に気にしない強烈な個性の人で日本人の枠は超えていたから世界的選手になれたと言われています。

日本の集団意識の高さ、チームプレー優先、まずは型から入り習熟したらその型を破る、我慢、辛抱、おしん的メンタルの強化、攻めよりも守りを先に考える、先輩後輩的序列主義は、日本の特性であり、工業生産や運動でもチームプレーでは圧倒的強みです。しかし個人の個別性、特異性を異端として排除に入る傾向にもなるので、個人の個性爆発は制御、抑える傾向にあると思います。同じやり方でずっと大丈夫という保証があるのなら、そのほうが、もめごとも少なく無難でもあります。しかし大阪選手のような個性が突き抜けた選手、人材はでてきません。そこが大げさに言うとこれからの日本、日本企業の課題です。

実は、私の若いサラリーマン時代、先輩の保守的な人がいるから会社はだめなんだ、自分たちの時代になれば、個性優先、個を伸ばし、もっと人材を積極的に活用して元気のある会社にするとみんな行っていましたが、いざ私と同じ世代、少し若い世代マネジメントになると見事に変身して、やはり昔と同じような保守的、型にはまった、リスクを取らない安全優先になってしまいます。権力を握ると誰しも守りに入って変わってしまうものなのでしょうか。私がいた会社に限らず、どこでも同じような傾向です。

大阪選手の快挙を見ながら、こういう人が日本のスポーツ界だけでなく、ビジネス、政治の世界でもたくさんでてくればいいのになあと思いながら、それは日本の固まってしまった組織では難しいことだよな、3才児の心のままテニスは日本ではできないだろうなと思ってしまいました。

それでは、チュース!!