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393.冨士フイルムのゼロックス買収の勝者はゼロックス経営陣ではないか?

ブログ391.で今回の買収で冨士フイルムの野望実現ということ書きました。確かにゼロックスを支配することは長年の古森会長の熱い想いだったと思います。しかしこの買収は富士フイルムにとって、ビジネス上の本当に成功かというと、古森会長の得意満面の顔と「ゲームチェンジだ」との強気の発言とは裏腹に疑問が残ります。経営、戦略で最も大事なのは、企業立地で、時代の流れに乗ることです、漁師がどこに網をかけるかに似ています。ゼロックスの1970年台、1980年台は複写機の他にコンピュータでもアップルや、マイクロソフトよりも先端を行っていました。まさに世界をリードしていた会社です。しかしコンピュータの小型化戦略で敗れ、複写機、事務機に戻らざるを得なくなってから、凋落が始まりました。複写機の市場はデジタル化で縮小、競合も多数でてきました。そこで、2000年に富士ゼロックスの持ち分の50%のうち25%を冨士フイルムに譲渡、そして今回、冨士フイルムにゼロックス本体を売却(50.1%の株式)、支配権を譲りました。ここ数年、ゼロックス本体の業績は悪化し続け、マネジメントは窮地に陥っていました。自分たちのボーナス、給与も保証できなくなってきました。そこで考えたのが、ゼロックスの冨士フイルムへの売却です。これで、ゼロックスマネジメントは豊富な買収資金を手にし、子会社になった好調な冨士ゼロックスからの配当も当面入ります。この売却ビジネスプロセス成功により、ゼロックスマネジメント上層部は、多額なボーナス、桁外れの退職金を手にして辞めていくでしょう。自分たちの面子もたち、実も取る実に見事な戦略の結果です。今回の勝者は彼らだと思います。

このあと起こることは、ゼロックスの優秀な技術者たちの退職です。彼らも十分なボーナスと、退職金を手にします。少し時代遅れでも複写機の技術は残るでしょうが、優秀なエンジニアは去りますので、あらたな開発、進化はできないでしょう。そうなると、子会社になった富士ゼロックスから、大量のエンジニアを本体に派遣、開発を続けなければなりません。これは富士ゼロックスにとっては相当な負担です。冨士ゼロックスは従業員の2割、1万人のリストラも行われますから、当然士気も落ち、優秀なエンジニア、社員も流出します。これは、かなりの危機的な状況です。この中一番たいへんで、苦労するのは、この買収成功の使命を受けて日本からゼロックス本体に送り込まれる、富士フイルムの役員、社員であることは間違いありません。

言う事を聞かない、残ったゼロックスのマネジメント陣をコントロールするのは至難の業です。今までの冨士フイルムにはなかった経験です。しかし古森会長からは、この買収は絶対に失敗は許されないという厳命が派遣される日本人には課せられますから、板挟まってしまいます。まさに試練の日々が続くことが予想されます。

実は、冨士フイルムは今から、30年前に全く同じような買収をしました。これには私も深く関与したので良く知っていますが、印刷関連で当時、最先端の画像処理機器を持った英国のクロスフィールド社の買収です。当時、材料しか持っていなかった冨士フイルムは、同じ材料会社の米国Dupont社と高額を出し合って買収しました。冨士から見たら絶世の美女で、声もかけることもできないためらう相手でした。しかし大喜びで買収してみると、持っている技術は既に時代遅れで、その後印刷業界の主流になったDTPには使えないものでした。社内体制もボロボロ状態、そしてわがままでプライドの高い英国人のマネジメントは、日本人には不可能で、不満を抱いた英国人マネジメントは高額の退職金を手に次、次と辞めていき、技術者も続々やめていきました。その後Dupontの持ち分株式を買い取った冨士は大量のエンジニアを日本から送り込みました。結局は再興することができず、10数年前に持ち出しでマネジメントバイアウトを行い決着をつけました。大きな授業料を支払いました。今回の買収は、その時のことが、デジャブのように思い起こされました。

もちろん、これは私のネガティブな推測で、冨士のマネジメントはそれらは織り込み済みでの決断だったと思います。前回のブログでも書きましたが、ロジカルには正しい判断だったでしょうが、これをプラン通り実行するのは、本当に大変な仕事です。私の冨士フイルムの後輩にあたる誰かが、この重責を負うのでしょうが、覚悟を決めてやるか、できなければ最初から逃げ出したほうがいいでしょう。それほど困難な仕事だと思います。

それでは、チュース!!

326.富士フイルムと富士ゼロックスの微妙な関係

先日、富士フイルムホールディングが、富士ゼロックスの海外子会社(ニュージーランド、オーストラリア)の数年の不正経理よる粉飾、375億円を発表、社長の助野氏が記者会見で深く謝罪していました。助野さんは私の富士フイルム入社同期で、時々会って話すこともあるのですが、いつもの明るさと軽妙さは消え、同じ人かなと思うくらい重く暗い対応でした。やはり大会社の社長は重責です。よりすぐりに選ばれた人しか大会社の社長はできません。助野社長の説明によれば、「富士ゼロックスは長年富士フイルムHDに利益貢献をしてくれていたため、自主性を尊重細かい指示は出していなかった。今後は富士フイルムHDが直接富士ゼロックスのガバナンス強化を図っていく」とのことでした。

富士ゼロックスは2001年以降は富士フイルムホールディングの75%の子会社ですが、それ以前は1962年の創設以来、富士フイルムと英国ランクゼロックスの50%づつの対等持ち分で、技術力を持つランクゼロックスの方との関係のほうが強かったです。そもそも設立の経緯は、電子複写部門を富士フイルムの一事業部にする案もあったのですが、当時、中興の祖と言われた実力社長小林節夫氏が、富士フイルムに入社していたご子息の小林陽太郎氏と腹心の部下で富士ゼロックスを設立しました。ですから小林陽太郎氏は35才で役員、45才で社長という異例の出世をし、かつ実績を上げ、富士ゼロックス社長の他にも経済同友会の代表として長年財界の顔にもなりました。アメリカのウォートンMBA出身で個性尊重、自由闊達な小林陽太郎氏が作るおおらかな社風と、財界嫌いで鉄の規律を尊重する当時の富士フイルムの大西会長の相性が良いわけがなく、50%の親会社に対する利益分与以外は全く関係がありませんでした。その関係の薄さは、子会社になった今でも続いており、陰では緑(富士フイルム)、赤(富士ゼロックス)と言って中傷しあいます。2001年の連結子会社以降、富士フイルムから大勢の役員、幹部社員が両社の融和というか、富士フイルム化のために送りこまれましたが、富士ゼロックスの富士フイルム敵視は続き、彼らは早々に仕事をさせてもらえずに帰還か退職しています。私の先輩、友人にも多数います。なぜ子会社なのに富士ゼロックスはガードが堅く、富士フイルムに対して排他的にやっていけたのかというと、実は今や伝説になっている富士フイルム第2の創業が背景にあります。2000年以前は、富士フイルムの利益率は15%、富士ゼロックスは8%くらいで、高収益の富士フイルムは富士ゼロックスを見下していました。しかし2000年以降、富士フイルムの銀塩フイルムの凋落により、メインの感材、メディカル、印刷の利益は大幅に収益悪化、イーブン近くにまで落ち込みました。化粧品、医薬品によるドメインの大変革もメディア受けは良いですが、大きな収益貢献までにはいたっていません。そこで大きく貢献したのは富士ゼロックスで1兆円の売り上げ、800億円の利益の75%を親会社に貢献しています。窮地に陥った富士フイルムHDの屋台骨を支えたのは富士ゼロックスだったのです。従来からの富士フイルムへの排他性に加えて、富士フイルムHDを支えているのは自分たちだと言う自負から、より富士フイルムの干渉を拒むようになり、自立性が強くなったのだと思います。

それから今回の事件は、英国系のニュージーランド、オーストラリアで起きました。富士ゼロックスの商圏は、アジアとオセアニアに限定されています。アジアの現法は日本人社長を置きガバナンスはできるのですが、欧米系、特に英国は表面はフレンドリーですが、内心は日本、日本人を馬鹿にしている人が多く、自分たちのことに干渉されることを極端に嫌がります。富士ゼロックスは英国系の会社のマネジメントに慣れていなかったのではないかと推測します。富士ゼロックス本社はこの不正経理に早くから気づいていたと思います。しかし、親会社に知れれば当然親会社からの干渉が強くなるため、なんとか自分たちだけで処理しようとして後手後手に回ったのでしょう。今回の事件はこのような、歴史的背景から生まれたものだと思います。

いづれにしろ、富士フイルムHDの古森会長の決断は早かったです。5人の富士ゼロックスの役員解任と、富士フイルムHD,富士フイルムから7人の役員が富士ゼロックスに入ります。古森さんも会長として富士ゼロックスに君臨、ガバナンスを効かせます。また富士フイルムのリストラを厳粛、着実に実行するため外部から富士フイルムに招聘された名物役員も富士ゼロックスに派遣されます。富士フイルムHDからすれば長年やりかった、富士ゼロックスの直接ガバナンスができることになりました。しかし今回の不祥事は、遠いオセアニアの国で起きたことであり、日本で働く多くの善良な富士ゼロックス社員には関係ないことでした。しかし自由な富士ゼロックスの社風は富士フイルム風に変わっていくことでしょう。これも世の中の流れ、環境変化への適応ということなのでしょうか。

それでは、チュース!!

211.三菱自動車の隠蔽体質は危機感のなさが生む

とうとう日産自動車の傘下に入ることになりそうな三菱自動車ですが、不祥事は20000年くらいから3回目です。リコール申請なしや、欠陥自動車の隠蔽、今回の日産から指摘された燃費不正隠蔽、これはもはやたまたま、偶然ではなく会社全体に真実を隠す隠蔽の風土があります。東芝や旭化建材の時も同じですが、トップやマネジメントは全然知らないことになっています。今回の会長、社長会見でも「知らないことで逃げのがれはしない」と言っていますが当事者意識は薄く見えます。というか、こういう会社には部下はトップは知らないことにして不都合なコトは自分たちの責任で進めていこうという体質があります。これは多くの日本の会社にあります。これがうまくできた人が、昇進していきます。ホントのことを下が内部告発したら、たいがいの場合わからないうちに存在を消されて行ってしまうことが多いです。

こういう職場、会社では本音を言ってはいけない環境が出来上がっています。事実と違っていても建前が横行しています。建前でないといけないということで、事実からどんどん目をそらし、事実は見えなくなっても来ます。不正など絶対に当社ではありえないと全員信じています。

何故このようなことが起きてしまうのでしょうか。それは私は危機感のなさだと思います。この会社はいつまでも永遠に続くと信じているのです。少なくともトップは自分の任期中は大丈夫と思っています。うまくやりすごせればよいと思っている人もいるでしょう。もちろんそうでない立派な社長もたくさんいますが、そういう人はオーナー経営者に多いです。自分の子、孫まで今の良い会社の状態を継続して渡したいと思っているからかもしれません。それはオーナー経営の良いところであると思います。

加えて三菱自動車は、なぜ過去の反省が生かされないで同じことを繰り返すのか、それは何か不祥事があっても三菱という日本最高ビッグブランドのもと、最後は三菱商事、銀行、重工から救いの手がくるという他力のところがあるからだと思います。三菱ブランドは偉大である反面自立できない弱さもあります。三菱ブランドのプライドはすごいものがあります。以前三菱商事の部長対象に研修インストラクターをしたことがあります。事例としてトヨタ自動車の手法を出したところ、三菱をトヨタと一緒にするなと複数の部長はマジでキレていました。私見ですが、今回問題になった三菱自動車には、庶民感覚の必要な軽自動車は向いていないと思います。今回日産と軽自動車を協業するのは妥当だと思います。三菱は上から目線でしか市場を見られないと思います。もちろん視座を高めて大所高所から俯瞰してビジネスをすることを三菱はとても得意です。あるところは、官僚以上だと思います。自分たちのことを民僚と呼んでいることもうなずけます。その分野で頑張るべきです。

軽自動車は大企業になっても、「スズキは永遠に中小企業」と言ってはばからない、庶民感覚のわかるスズキ自動車やダイハツにマッチした分野だと思います。

結論ですが、隠蔽体質は、本当の危機感のない職場、会社から起きると思います。日本の会社のこの隠蔽体質は急速に変わってきています。しかしながらブランド力が強い伝統的な大きな会社、今のままでいけると思っている会社はちょっと危ないところもあります。

それでは、チュース

207.変革は5感で感じて変える。8つのステップは多すぎる

いろいろな会社で変革の支援をしていますと、良く例に出てくるのがアメリカの経営学者ジョン・P・コッターのリーダーシップ論の「変革プロセスの8段階」です。このステップを忠実に実行すれば変革はできると、日米のMBA教室ではレクチャーされるので、このステップを手順どおりに進めようとする会社、もしくは担当者は多いです。

そのステップは、簡単に言うと
1.変革の準備段階
①危機意識の共有
②強力な推進チームの結成

2.変革の実行段階
③ビジョンの作成
④ビジョンの伝達
⑤ビジョン実現のサポート

3.変革の加速化
⑥計画された短期成果の実現
⑦変革の加速化
⑧新しいアプローチの定着化

確かにこのプロセスよくできているとは思いますが、学者が成功した複数の成功変革事例をク―ルに分析した結果だと私は思います。しかし実際にいろいろな変革の経験、体験してきた私としてはこれだと何か違和感があります。これだけを形式的になぞってもうまく行かないような気がします。

私はこれから変革が必要な会社、組織で大切なことは、今の危ない状況を5感で感じて、おかしいなと思う人が出てくることが一番最初に必要です。5感というのは、目(見る)、耳(聞く)、鼻(臭いを嗅ぐ)、舌(味わう)、触感(肌触り)です。感覚というと、ほとんど目で見ることをイメージしますが、耳、鼻を使って、その場の雰囲気、空気を感じることも大切でしょう。舌、触感も使う時が来ると思います。整理された数字のデータだけを鵜のみにしていてはだめです。現地、現物に行って、自分の5感で感じることが大切です。これは論理よりも、感性なのかもしれません。でもそういう感性を持ち合わせた人が中心になってリーダーシップを発揮しないと、人、組織は動きません。論理は重要ですが、それだけでは人、組織は動きません。そういう人が出てきて、現状と将来の環境の変化を見れば、対策案は自ずと出てきて行動に結びついていきます。

最初の一人、数人が必要なのです。それができる人がリーダーなのだと思います。下の人間が危機感を感じて上の人に伝えることも可能ですがそれでは時間がかかってしまいます。
やはり変革の最初にはパッションが論理の前に必要です。

それでは、チュース

193.会社のターニングポイント

会社の戦略ワークショップで、自社のターニングポイントを探して進化の歴史をレビューします。会社の進化、退歩は直線的な変化ではありません。何かエポックメーキングな事が起きた時に会社は階段状に変化します。過去のターニングポイントを確認した上で、将来に向けて新たなターニングポイントで作り出さなくてはなりません。またマイナスのターニングポイントは未然に防がなくてはなりません。下記に会社ごとのターニングポイント具体例を上げてみます。

①地方の電気工事会社
・電気工事に加えて、空調工事事業を始めた。
・上場により、社会からの信頼を得た。また優秀な人材が入社するようになった。
・東京に進出した。海外に進出した。
・社名の変更をして、イメージを変えた。
・地元に大きなアミューズメントパーク建設、大企業の工場建設が始まり、軒並み受注に成功した。
・地域に密着した新規事業を多く展開した。

②自動車部品会社
・国内自動車が頭うちになった時に、アジアを中心とした積極的な海外展開を実施した。
・基幹部品の専門技術を活かした製品を他分野の成長ビジネスの基幹部品とし開発、売り込みに成功した。
・有力顧客からの要請で、新規で自動車の自動車用内装部品を開発、製造それを、国内、海外メーカへの拡販に成功した。
・世界的品質優良企業だけが受賞できるデミング賞を獲得、高度な品質の国際保証のお墨付きをもらい、グローバル展開が容易になった。

③中堅商事会社
・たびたび、不祥事が発生し、そのたびに業績は下降、希望退職、減資が行われた。
・新規事業を展開した時は業績は上向く。しかし長続きしないで撤退することが多かった。理由は不明のまま終わる。。
・タイムリーな海外展開はうまく機能しており、業績に貢献している。
・主購入メーカーの完全子会社になり、ブランド力向上、資金繰り良好で経営は安定した。

④大手造船会社
・造船不振により、造船本業からの撤退、コア技術、大きな鉄を、切る、曲げる、つなげるを、他分野に展開する。それぞれの造船所がひとつの事業部になる。
・新規事業に会社を上げて取り組み、将来性のある有力なビジネスとして立ちあげたが、マネジメント能力はなく、他社に高額で売却した。
・世界の造船業トップ3に入る大企業であったが、造船がなくなり、長年赤字経営が続き、無配、銀行管理になったが、簿価の安い土地大量に持っていてそれで、食いつないでいた。しかしとうとうそれもなくなって倒産の危機を迎えた。
・自社の強みを結集した発電所付き、ゴミ焼却場を開発、運営、主力事業にした。
・会社の壁を取り払い、それぞれの事業が持つ強みを組み合わせて、世界に例のない新規ビジネスを開発、これは事業としても成功し、大きな収益になった。

⑤富士フイルム
・長年写真フィルム国内メーカーとしては、さくらより後発の地位であったが、戦後国産初の天然色映画フィルムを開発、「カルメン故郷に帰る」で使用され、技術力を評価された。
・さくらが、製品不良品を流通させてしまい、その回収に手間取り、その敵失で相対的に富士のシェアが上がった。
・昭和40年代のカラーフィルムの時代にいち早く乗る。山口百恵をCMに起用した
・高感度フィルムASA400を開発、大スターであったユル・ブリンナーのCMも大ヒット、高技術のイメージが定着した。
・樹木希林の使ったCM「それなりに・・・」シリーズが大ヒットした。
・使い捨てカメラ、「写るんです」がそのネーミングと伴にに大ヒットした。
・1984年ロスオリンピックのオフィシャルスポンサーで知名度上げる、USAのシェアが5%から3倍強に増える、その余勢をかって、世界シェアでコダックに追いつく。
・デジカメ普及で銀塩カメラ衰退、化粧品、医薬品事業に進出する。

それぞれの業界で勝ち抜いてきた会社は、危機に瀕した時、流れに乗った時に何か、勝負に出て大きなことをしています。あなたの会社のそれは何だったでしょうか。将来に向けてあなたがそれを作っていかなくでは、あなたの会社はじり貧になってしまいます。

それでは、チュース

追伸:あなたのターニングポイントは何でしたか、これからは何ですか?

191.3.11と故郷、清水の衰退

東日本大震災から、きょうで5年が経ちました。毎日報道される、復旧がなかなか進まない状況、未だ行方不明の方がたくさんおられ状況、2次災害の原発被害で地元に残れない方々、一家離散で新しい暮らしをはじめざるを得ない人々、等々本当に心痛むことが多いです。この大災害を風化させてはいけないと新たに思います。

ところで、私の故郷は、静岡市清水区、ちょっと前までは清水市でした。今静岡市は、政令指定都市の基準人口70万人にちょっと超える程度で、岡山市に人口を抜かれて、その中では最下位だそうです。静岡の中でも清水区の人口減少は大きく、5年前の前回調査より3.5%も減ってしまいました。久しぶりに昨日、清水に帰り、昔お世話になった方や、清水の会社にいた時の同僚、高校時代からの親友にも会っていろいろ話を聞いてきました。どの人からもあまり景気の良い話は清水区からは出てきません。Jリーグ発足からのJ1チームでずっとJ2に降格のなかった、清水エスパルスが昨年J2に降格、それも元気のなさに追い打ちをかけていました。現象面として大きいのは清水から商店街がなくなりつつあります。私の生まれ育った、次郎長通り商店街はかなり昔から人通りが少なくなっていましたが、清水のメイン繁華街の、駅前銀座や清水銀座も半分以上が店を閉め、シャッター街になってしまいました。静岡のメイン商店街の七間町や呉服町、JR、静鉄のお洒落な駅ビル、東京からやってきたファッションビル、量販店に清水のお客を全部持って行かれてしまいました。

どこの地方都市でも同じ現象ですが、同じ静岡市でも、地区によってこんなに差に拍車をかけてしまった原因は、3.11にもあるように思いました。清水区の商店街は清水港周辺にできた、ほぼ海抜ゼロメートル地帯、津波がくればひとたまりもありません。私の親友が住む三保地区は、安部川の土砂が溜まってできた砂州で、一番海抜の高いところでも4mです駿河湾は深いから、大きな高い津波は来ないと学説はありますが、3.11の映像を見てしまうと恐くなってしまうのは人情でしょう。三保地区も名勝、羽衣の松が、富士山の世界遺産の一部となり、観光客が増えて駐車場があちこちにできたのはプラスですが、住む人の数は減っています。清水区は東海沖地震の発生予想が40年以上前からあり、どの家もその時に備えて貴重品はリュックに入れ、いつでも持ち出せるようにしています。津波避難訓練も毎年実施されています。こうなるとあえてリスクの多い清水地区、特に海の近くに住もうとする人は少なくなってきます。海寄りの清水地区の不動産物件は動きが悪く、よって価格も値下がりが続いているようです。

そんな沈滞、清水の中で、唯一元気のあったのが、港近くのエスパルスプラザの中にある「ちびまるこちゃんランド」いわずとしれた、いまやサザエさんに次ぐ日本のお茶の間アニメの定番です。ちびまるこは、ここが舞台です。作者のさくらももこさんが、この地区の出身だからです。このアニメは世界各国でも翻訳されているので、ここには日本人だけでなく、外国人の来訪者が多かったです。昔、清水に繁栄をもたらした、造船、木材、缶詰、アルミなどの産業に変わるビジネスが起きてくれば良いのですが、なかなかそれは期待できません。アニメは日本の有力な産業ととらえ、その有力コンテンツの「ちびまるこちゃん」をなんとか、清水復活に活用できないものかと、ちびまるこの3年4組の教室でまじめに考えてしまいました。

それでは、チュース

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189.富士フイルム 古森会長の教え

いろんな研修、セミナーで私の出身が富士フイルムだとわかると参加者から必ず、V字回復の秘訣はとか、何故コダック、コニカはなくなって富士は残ったのかとか、古森会長というのはほんとのところどんな人なんですか、という質問を受けます。古森さんはベストセラーになった著作2冊を書いていますし、富士フイルム復活のテーマは、日経やビジネス雑誌、またハーバードビジネススクールのケースにもなっていますから、私は世間で言われていることや、参加メンバーの期待していることにあわせてそれなりに話しています。

私は古森さんは、国内、ドイツ時代、上司でしたので、そのパワーと能力の高さ、それに今は立場上なくなってしまいましたが、本来は人情味豊かな性格に接してきました。海外にいる時、2人で海外現法、代理店を訪問することがよくありました。強烈な個性、国粋主義、プライドのとても高い人ですから、どんな時でもなめられたり、バカにされたりされると、とんでもなく怒ってしまい、同行出張はけっして飽きませんでしたが、ひやひやの連続でもありました。まだ現役バリバリの方ですので、その武勇伝は控えますが、同行した時、空港や飛行機、車の中で、直々にいろいろな薫陶を受けたことが、その後の私のビジネスキャリアの中でたいへん役にたっています。古森さんは、通常の啓発書や戦略本、マーケティング本に書いてあることとは異次元のことを話します。

ある時古森さんが「住永、おまえサラリーマンとして、ビジネスマンとして大事なことは何か知っているか」と聞きました。まじめな私は「先を見る目、コミュニケーション力、問題解決力、交渉力、リーダシップ、問題構想力とかですか」と、よくある啓発本並みの答えをしますと、古森さんは「そんなものは、あったほうがいいけどな、それほどじゃない。大事なのは、

1.いざと言う時に全身全霊を傾けて勝負する、そして勝て 
2.うるさい奴、邪魔する奴は、腕力を使ってでも黙らせる 
3.自分には運があることを信じる

よく覚えておけ。」と言われました。
その時は、何を言われているのか、正直よくわからなかったですが、今は、古森さんがリーダーとして引っ張った、富士フイルムの復活のカギはそこにあったとつくづく思います。これは論理的ではないと批判される方がいるのはよくわかります。しかし、窮地に追い込まれたときのリーダーはそういうものかもしれない、理論よりも状況を変える力が必要なんだと思います。

古森さんは、大学時代アメラグの選手、それも一番前のラインで相手をつぶすポジションだったそうです。よく「なぜ、おまえアメラグやらなかったんだ、アメラグはいいぞ、あんなに、おおっぴらにけんかできるスポーツはないぞ」と言っていました。本来けんか好きのようです。そしてビジネスは競争、戦いなんだともいつも言っていました。本来、争い事のあまり好きではない私を古森さんは、物足りなく思っていたと思います。

それでは、チュース

172.感情曲線から学ぶこと

レジリエンス(復元力)の演習で、感情曲線を作ります。人生曲線、幸せ曲線とも言われます。

グラフの縦軸に自分の感情の+-を表わします。縦軸の真ん中をゼロにしてください。横軸に入社以来、現在までを時系列で取ります。今回は仕事に関しての感情に限定してください。そして自分の感じるままに、時系列で自分の感情の推移、幸せ、不幸せの推移を正直に表わしてください。幸せの時しかない人や、不幸だけの人もいないと思います。必ず、十数年、数十年の間には、浮き沈みがあり曲線になると思います。自分は仕事でどんな時に、幸せと感じ、どんな時に不幸せと感じたかを認識してください。そしてどうした時に、下降していったか、そして、ここが一番大切なのですが、どうやってボトムから這い上がっていったか。それを理解してください。それがわかると落ち込んだ時の、自分としてのリカバリーの知恵、ハウツーがわかってきます。そうすれば、落ち込むことも回避できるし、不幸になっても早めに立ち直ることもできます。研修では、自分自身のことを知ることもさることながら、人の経験、立ち上がり方法を聞くことはとても参考になります。自分に活かせます。

いろいろな人の感情曲線は本当にその人の仕事人生そのもので、とても興味深く、おもしろいものです。おもしろい、好きな仕事、自分のやりたい仕事とその逆な状態で、幸せ、不幸があるのは容易にわかりますが、それ以上に影響を与えるのは、その職場、特に上司との関係性が、仕事の幸、不幸を決めていることだということが多くの事例から明白になってきます。当然関係性が良い時は、良い仕事ができ、そうでない時は仕事もうまく行っていないことが多いです。

私の場合は、海外関連や、海外駐在の好きな、やりたかった仕事の時は、幸せにかんじています。そして私には入社以来、天敵である上司がずっといました。いくら努力しても、ウマがあいません。その上司が国内でも海外でも、周期的にいつも近くにやって来ました。その時は、間違いなく不幸に感じていました。離れていくと感情は上向いていきます。これは運命かとも思いました。それで、永久に会うことのない転職を考えたのかもしれません。

できるだけ、幸せに感じる時間を長くして下さい。やむを得ず、不幸になった時は、早くそこから抜けだして、気持ちを上向きにしてください。一度しかない人生、それも会社にいる時間は長いので、自分なりの幸せに感じる時間の入手方法、つまり元気に生き残るハウツーを身につけてください。

それでは、チュース

157.危機感は無理でも自社の強みを研ぎ澄ませ

業績困難に陥った会社が復活していくきっかけは2つあると、私は思っています。

ひとつには会社全体に、このままではダメだという危機意識がマネジメント、管理職、一般に持てていることです。しかし危機意識は長い間は続きません。ある会社で部長研修をした時に、「あなたがたの会社には危機感が必要です。」と言ったところ、全員から「何を言っているのです。うちの会社は入社以来ずっと危機感の連続です。危機感は十分あります。」と反撃されました。この会社、歴史のある老舗企業で、昔購入した簿価の低い社有地をたくさん持っていたので、経営陣は毎年、それを切り売りしてやりくりしていました。また新規事業開発であたったものが複数あり将来有望なのですが、それをビジネスをする能力がその会社にはなく高額で他企業に売却して、その臨時収入がありました。その会社の欠点は世界初の開発ものは多いのですが、2番手、3番手にすぐ追いつかれて、ビジネスで儲けることができない体質になっていました。ですから、毎年決算数字はそれなりになるので、詳細を知らない、関心のない社員は、今までなんとかなったのだから、これからも大丈夫という根拠のない安心感を持っていました。もちろんその会社の社長は、元凶である「幹部社員、社員に儲ける意識が乏しい」ことにフォーカスした強烈な研修を行い、V字回復しました。危機感で会社が引っ張れるのは、せいぜい3年くらいです。それ以降は惰性になってしまいます。

ふたつ目は、自社の強みをどこまで強く意識してそれを研ぎ澄ましているかです。SWOT分析は誰でも理解、実践もしたことがあると思いますが、4つの象限の打ち手で一番需要なのは、強みSを機会(O)にぶつけることです。ここで勝負でき、勝てなくては会社は衰退していきます。勝ち残れません。しかし、この両方を鮮明に明確に把握できていない会社が本当に多いです。機会の未来予測は、様々な情報から入手できますし、自分で未来を変えて行くという力強い経営者もいます。未来が予測、ある程度把握できればどちらでもいいと思います。困ってしまうのは自社の強みのとらえ方が本当に甘いことです、というか強みになっていません。強みとして必ず出てくるのが、①社員が真面目で一生懸命、長時間働きます。②困難に会ってもあきらめずにやり抜きます。③いいお客さんがいます。この3つはどこでも出てきます。もちろんこれも大切な要因ですが、下支えになる部分でこれはたいていの会社にあります。強みは他社に比べて圧倒的に優位なことです。それは、端的に言えば、エッジの利いた技術や、際立った他の真似のできない強みです。でも長い間、ひとつの会社で同じ仲間と同じ顧客、同じような仕事をしていると、自分たちの強みをまったく見失ってしまうことが多いです。30年以上続いた会社には、他社が真似できないすごい技術を持っています。しかしこれをほとんどの会社の社員、幹部はバクっとしか捉えていません。平常時はそれでもいいですが、危機を迎えた時は危ういです。重機械の会社は、鉄を切って、曲げて、つなげるだけだといますが、その高度技術はたいへんなものです。あるバネ専門会社のその微細精工な技術は世界一ですが、それを説明するのはけっこうヘタです。良い例として富士フイルムが化粧品に出られたのは、ゼラチンという写真フィルムの乳剤を溶かす、保水性の物質に対する高度な知見、経験があったからです。みなさんも自社の強みを是非いまのうちに見直してください。

私は、最近、海外ナショナルスタッフ向けの仕事が増えています。海外駐在経験があり、英語が話せて、戦略の作成と実行も理解し、人に興味が、深く場が作れて、メンバーをコーディネートできる。ひとつひとつで、できる人はたくさんいますが、全部となるとあまりいません。合わせ技も強みになると思います。私はこの分野を特化しようかとも考えています。

1人のビジネスマンとしても、自分の強み(他者が真似のできない)を十分理解し、ブラッシュアップし続けることが、いざ危機に面した時、助けになります。会社が順風で追い風を受けている時は、まったく必要ありませんが、明日のことはわかりません。リストラは絶対にないと社員全員が固く信じている、信じたい会社はけっこう危ないです。

それでは、チュース

106.コーチングと占い

私はこの2つをしてもらった経験があります。もちろんアプローチは違いますが、その価値は両方ともクライアントを元気にしてくれることだと思います。双方から一緒にするなとクレームをつけられそうですが、両方経験してみてそう思います。

コーチングは、10年前にプロのコーチから1週間に1回、2ヶ月くらい受けっました。標準的なアプローチだったと思いますが、今自分がどこにいるかを、価値観リストや、いろいろな分野でやってきたことを質問してもらい書きだします。自分だけで書くより広く深くなります。そしてどこに行きたいかも同様に質問してもらい、具体的なゴールを書いていきます。ほとんど初対面なので、私の外面から見える印象を率直に言ってくれました。けっこう自分自身気がつかないことも言ってくれて刺激的でした。そしてコーチの役目はそれを行動に変換させること、行動の進捗状況を聞きフィードバックしてクライアントと伴走することです。想定外だったことは、行動できない自分を覆っている、やらなくてもいいこと、やめたくても止めていいことの書き出しと実行でした。これはとてもすっきりしました。そこで空いた時間や心の余裕ができゴールへの一歩を踏み出させてくれます。行きたい場所に行く行動を取らないのは、別に急いでいく必要はないと思っているからであり、誰にも催促されることではないからです。しかしコーチがいると進捗を聞いてくれ、進んでいると褒めてくれます。だめだと激励してくれます。要は毎週‘ファイト’と声をかけてくれるのです。行動して自分が変化することで自信がつきます。

占いは、私には渋谷道元坂に1~2年に一度くらいみてもらう年配の易者さんがいます。転職、起業の前には複数の所に行きました。生年月日と手相が多かったですが、だいたい言うことは同じです。判断するリソースが同じだから当然なのでしょうが、組織には向いていない、2~3人でやる自営業がいい、仕事好き、海外に向いている、頑固、気が短い 等々です。道元坂の易者さんは、それに加えてとてもほめてくれます。毎回覚えてくれていて、良い人相、元気、明るい、人を引き付けるオーラがある、あごのはり方が田中角栄に似ている、頭を使う仕事がいい、強運、友達は多くないが良い友達が助けてくれる、頭の良い上が来ると力を発揮する、・・・ こちらが気持ち良くなることを次々と言ってくれます。20分、3000円+消費税です。この易者さんは、データからではなく、私の話を聞き、またものすごく大勢の人と会っていますので、私はどんなタイプの人間で、何がしたいか、何が強み、何が弱みか言い当ててくれます。自分では気がついていなかったことも言ってくれます。最後は「君は絶対に強運でついている。大丈夫だ、余分なことは考えるな、今の仕事を続けるのがいい。」ポジティブなアドバイスをしてくれて気持ちよくしてくれます。コーチングを受けた後と同様な爽快感があります。私にとってその易者さんはバカボンのパパのように「これでいいのだ」と言ってくれる人なのです。
コーチも易者さんも私を客観的に見て、前に向かって行動するパワーをくれます。感謝です。

それでは、チュース