カテゴリー別アーカイブ: 失敗談

373.出会いたくなかった人もいる。

成功した人、賢者の話を聞いていますと、必ず言うのは、私は人との出会いに恵まれた。その支え、助けを受けて運よく成功し運命を満喫していると謙虚に言われています。確かにそうです。いくら能力があっても人とのめぐり会い、機会に恵まれない人は、才能を開花させることなく終わっていきます。そういう人もたくさん見てきました。まさに運です。人生を決めるのは運ですから、自分には運がついていると信じて生きて行きましょう。

ところで、今日は、良い人とのめぐり会いではなく、できれば会いたくなかった、あの人にさえ会わなければという話です。私には天敵と思える人がいました。私の人生はその人に散々苦しめられました。一言で言えば、彼(元上司)は私のことが嫌いなのです。これは相性です。工場のエンジニアで仕事を始めた私は、どうもその仕事が向かずに営業職を希望しました。そこで私を拾ってくれたのがその人でしたが、異動して最初に言われた言葉が「お前は員数外(定員外)だから、俺のところに入れてやった。文句言わずに言われた通りに働け」という驚きの一言でした。でも営業職に変われたうれしさと、実績を上げれば評価もあがるという期待もあり、まじめに働き成果も出しているつもりでいました。しかし私へのいじめはいっこうに変わらず、激しさを増していきました。

何年かしてあるその課の二つあるグループのひとつのリーダーをしている時です。その事業部ではその上司がリーダーになって当時はやりのTQC活動を実施していました。私もある小集団のリーダーをそれなりにはやっていました。ある昼休み、同期で仲間であるもうひとつのグループリーダーと用を足している時、その仲間が「このくそ忙しい時に、TQCなんかやってられないよなあ、あの課長の手柄作りだけなんだから、馬鹿馬鹿しい」と言ったので私は「そうだな」と相槌を打ちました。奥の大の扉がひとつ閉まっていたのが気になりました。案の定そこにはその上司が入っていました。その直後なぜか相槌を打った私だけが呼び出され上司に烈火の中で散々糾弾されました。実際に発言した私の仲間は何も言われません。つまり私を怒りたかったのです。嫌われていたのです。またその課では、半期に一度、課長が部下を連れて全国営業所を回り予算について会議を行うのですが、その課長のお気に入りの女子スタッフがいまして、彼女を連れた出張打合せは毎回金曜日に行い次の土曜日は、そこの営業所近くの観光地を一緒に巡ってくるのが定例になっていました。課員全員知っていましたが、別に誰も気に留める風はありませんでした。その女子スタッフはその噂を気にしたのか「私と課長が営業所まわりで、温泉旅行に行っているという噂がたってます。だから私はもう出張同行しません」と課長に言いました。私はまた即刻呼ばれて、課長から「そんな噂がたつのは、おまえの管理が甘いからだと例によって感情的に叱責されました」叱責はもう慣れっこになって気にしていませんでしたが、さすがに無実の罪を着せられ頭にきて言い返しました。「それはたいへん課長にとって失礼なことですね。すみませんでした。これから課員全員を呼んで、徹底的に誰が言ったのか調べて報告します」私は事を大きくしたかったのですが、さすがにその課長も気づいてそれはしなくて良いと言ってきました。これはほんの一部、こんなことは日常茶飯事で、理不尽、不条理な言いがかりをつけられてしましたが、さすがにある時にこちらもブチ切れ小さな事件になりましたが、その上司の上の役員の計らいで、私は他部署に異動でき、海外赴任もしました。

これで彼とは離れて一件落着だったのですが、私がドイツに赴任して半年後に、なんと関連する仕事の相手先の社長で英国に来てしまったのです。本当に私は自分の不運を嘆きました。また元の関係に戻ってバチバチが続きました。事実に基づく論争や仕事では勝てるのですが、それが返って恨みを買い、いろいろなことで意地悪され、私についての事実でない悪い噂を意図的に周囲、トップに流していました。彼は私をつぶしてやると周囲に公言もしていました。やり手の彼は代表取締役にもなり、ほぼトップに近いところまで昇進し、私のその会社での運ももはやこれまでと思い退職しました。私の会社での人生曲線を書くと、彼が近くにいた時が最悪で離れると良好になります。彼は真の天敵でした。

人生には、あの人に会ったおかげで自分は幸せになったということが多々あります。それは仕事でも友人でも、それから恋愛、結婚でも同じです。しかしその逆にあの人に会ったために、自分の人生は不幸になった、暗くなった、めちゃめちゃにされたという人も大勢います。後者はあまりきれいではないので、人もあまり口にしません。しかし私は人生を上手に生きるのは、そういう人を感じたら(これは理屈ではなく直感です)そこから逃げることです、つきあわないことです、離れることです。天敵と思える彼、彼女との関係が好転することは99%ないです。

人生で大切なことは、誰とつきあうかと同じくらい、誰とつき合わないかが、とても大切です。そのほうが大切かもしれません。嫌な人と無理につきあっていると必ず自分に悪い影響がでてきます。ビジネス戦略だけでなく、実はつきあう人に対しての選択と集中が一番重要なのです。

それでは、チュース!!

(先日、あるブログ読者から、まじめな事を書いているのに、最後にチュースなんて言ってどうしてふざけるのですか?というお叱りをうけました。チュースは、ドイツ語の若者言葉で、別れる時に、アウフビダーゼーエンの代わりに じゃあ、また、みたいに軽く言う挨拶です。ふざけているわけではありません。念の為)

284.あれから40年の同期会

私は、冨士フイルムに1977年に入社しました。ですから今年で40年、綾小路きみまろの決め台詞「あれから40年」です。大志や野心を持って入社した若者もすっかりいい年になってきました。当時はオイルショックの後で同期は少なく大卒新入社員は77人、今や驚きですが総合職はすべて男の時代でした。毎年その会社の創立記念日だという1月20日に同期会をやり続けています。地方にいる人やいろいろな事情で来れない人が多く今年の出席者は22人(30%)です。学校の同窓会と同じで今、元気に楽しくやっている人がほとんどです。現在の職務状況をざっと見て見ると、

・去年、富士フイルム社長になった現役 1人

・富士フイルムの役員  1人

・冨士フイルムの関連会社の社長、役員 4人

・富士フイルムの関連会社の管理職、 3人

・早めに退職して起業したり、自営業、NPOの人 4人

・全くリタイヤして悠々自適の人 9人

・それに一般職で冨士フイルムにいる人女性 3人でした。

男に限れば、冨士に残って働いている人は、9人(40%)、外で働いている人4人(20%)リタイヤの人9人(40%)でした。冨士に残っている人は、いろいろと会社の不平不満を口ではいいながらも平均63歳まで会社にいられるわけですから、サラリーマンの勝ち組です。外に出た人(私もそうですが)は、虚勢も半分あるのでしょうが勢いは一番ありました。リタイヤの人は少し雰囲気が違います。静かに穏やかに自分の趣味の世界で悠々と静かに生きています。現役で働いている人たちに、「良く頑張るねえ」という余裕の表情をしていました。不思議だったのは、冨士フイルムの取締役や執行役員を去年退任し、去年の同期会までは元気に出ていた人、5~6人不参加だったことです。最後の社長出世レースに参加していた人たちですが、同期から社長がでると、やっぱり心情的にでたくなくなるのかなと勝手に想像してしまいました。

同期会は楽しい場で昔からの友達と楽しく話せます。しかし昔から相性の悪い人も出席していますから、なんとも気まずい場面にも出会います。そういう人とは大人のあいさつだけして深入りはしません。昔あった人で年を取ってから、仲良くなることはないと私は思っています。今仲の良い人は昔からも仲が良かった人たちです。

ところで同期から社長がでるのは、個人的にはうれしいことなので、社長になったS君(といっても同期ですから以前同様敬称略で話しますが)に、大きな会社の会社になると忙しくてたいへんだよね、ましてK会長という辣腕の会長が上にいたら、神経まいるだろうと言うと、S君の答えはまったく以外で、「社長なんて暇だよう、下がみんなやってくれるから、やることないよ、Kさんだって、うるさいけど、すぐに忘れるから、ほっとけばいい、うまくあしらっときゃいいんだよ」逆に、「おまえみたいに真面目にかんがえたらやってられないよ、いい加減でいいんだよ。優秀な人たくさんいるんだから」なんとも達観していて、K会長がS君を社長に指名した理由もわかりました。社長という仕事はその重圧でつぶれる人を選んではいけないということなんだと思います。

私の会社時代の親友のI君は、今大きなグループ会社の社長で力を発揮しています。彼は独身寮で部屋が隣だったこともあり、全部良く知っています。車とオーディオをこよなく愛し、野心はほとんどなく、たんたんと仕事をしていました。彼は、昔私に「おまえみたいに、向上心があって、よく勉強する奴が会社では偉くなるよ」と言ってくれました。しかし会社での結果、評価は完全に負けました。彼は仕事はそこそこできますが野心がないので、周囲や上司から愛され、だれからも嫌われず、ファンも多いのです。良い仕事が次々と彼のところにやってきます。同期会で彼に、その話しをすると彼は「その通り、俺は超ラッキー、サラリーマンでここまでくるなんて全然考えていなかったよ。おまえは、正しいけど、言い方が偉そうすぎたよな、だから嫌う人もいたんだよ。」今さら気がつくのは遅いけど、確かにその通りと笑いました。自営業は自分で何でも決めて動けますが、サラリーマンは相手があってのものです。良い仕事が回ってこなければ、いくら自分が頑張っているつもりでも、カラ回りするだけです。そこのところの塩梅は本当に大切です。難しいですが、サラリーマンの人は心に留めておいてください。

それでは、チュース

 

215.会社での成長、出世、満足は上司との出会いで決まる

会社は、公平、公正であるという、一般的たてまえからしますと、このテーマ何か不謹慎な気もしますが、長年サラリーマンをしてみて、多くの会社とおつきあいしてみて、いろいろなトップの方とお会いしてみて、また研修で大勢のサラリーマンを見てきた私の結論です。

サラリーマンは上司を最初は選べず、Givenです。しかしその状態を受け身にとる必要はありません。その時々の上司の特長に合わせてうまく適応していけば良いのです。よく上司に手柄を取らせて自分は犠牲になれば、その見返りで自分も出世するという美談を聞きますが、たいがいはそうではありません。上司はそんなに甘くありません。そんな甘い考えだけではうまくこき使われて捨てられます。もっとしたたかに行きましょう。

私は、部下にとっての上司は、大きくわけて次の3つに分かれると思います。

Aタイプ:部下である自分を認め、信頼してくれて、自分の潜在能力を引き出してくれる。やさしくはなく、仕事に対しては厳しく、結果を求めてくる。自分と厳しく向き合ってくれ、苦言を言ってくれる。自分も成長を感じる。

Bタイプ:たまたまなってしまった部下であるという考えで、部下に人としての関心を持たない。表面的には優しいが内面は冷たい。仕事を任せてくれるが、自由放任であり、部下を指導しよう、成長させようという意識、姿勢は少ない。面倒なので部下と厳しく向き合うことはしないが、部下の行動や成長を妨げることはしない。

Cタイプ:自分の出世のための手足として、部下の人権を認めず、ただ道具としてこき使う。口癖として「おまえの生殺与奪の権利は俺が持っている」「おまえは交替可能な消耗品である。いつでも変えてやる」と脅し、恫喝によって部下を動かす。自分の役割を個人の権力と勘違いして部下を自由に使えると思っている。人としての性格には問題があるが、頭は抜群に良い人が多い。

私の28年のサラリーマン人生で、Aタイプは3人、Bタイプは5人、Cタイプは2人でした。部下としてこの3つのタイプの正しい対応の仕方を次にあげます。

Aタイプの上司の時:
これは最も幸運な時で、上司に本音で話して、ガンガン仕事をやること、厳しいけど、安心して仕事ができ、成長を感じる。パチンコで言えばチューリップが開いている状態(この表現は古すぎて若いひとにはわからない)、中堅以降でこういう上司に出会えたら、徹底的に仕事をして良い評価、良い関係性を築き、その人に引き立ててもらい一緒に出世して重要な地位につくのがサラリーマンとして一番よい。こういう上司の時は勝負時である。

Bタイプの上司の時:
実はこのタイプの人が一番多い。上司から、成長への助言、フィードバックは期待できないが、自分で自由になんでもできる時である。受け身にならず、自分の考えをどんどん主張すれば、できることは多い。しかしあまり大胆な提案や、変革を上司は望まないのでほどほどにしておく。自分の力の蓄積は十分できる充電時期である。

Cタイプの上司の時:
この時は、面従腹背と言われてもただ耐える時である。言われたことはきちんとしなければならない。良い評価は得られないが、XXは避けなくてはならない。理不尽、不条理な目にたくさんあうが、これはサラリーマンとして乗り越えなければならない必修科目と理解する。大切なことは、この上司と正面からぶつからないこと、けんかしないことである。職制の力関係から正しいことを言っても玉砕するだけである。このタイプは部下にメンツをつぶされるのを一番嫌がる。そのかわりにうまくかわすこと、ヨイショをして目くらましにしてその場からいなくなること、が重要である。私は玉砕タイプで、結局会社を去りましたが、かわしタイプ、ヨイショタイプの同僚は、役員、グループ会社社長になりました。

実は、Cタイプの上司との折り合いが一番難しいです。そこで対応を間違えると、メインラインからはずれて、戻ってこれないケースが多いです。ここは臥薪嘗胆スピリットです。サラリーマンは正しいことを言えば評価されるというのは甘い、間違った考えだと私は確信しています。本当のマネジメントに入って重要な地位につくまでは、「能ある鷹は爪をかくす」の格言を心に置いた方がいいです。特に日本の会社ではそうしなければなりません。それまでは、金太郎飴+アルファくらいが良いと思います。

サラリーマンの成長、出世、満足は、もちろん本人の能力、実力、努力はありますが、それに加えて自分に合った良い上司と、いつめぐり会えるかが大きな要素です。なんだ、それでは運が大きいのかと言われますが、運も実力のうちというのも真実であります。めぐりあい、それはどうしようもないことですからあまり考えない方がいいです。自分は運が良いと信じている人が勝つような気がします。

それでは、チュース

145.セミナー炎上

きょうは、ブログ炎上ではなく、セミナーほぼ炎上のお話です。長いことセミナーやワークショップをやっていると、事務局やこちらの思惑、ストーリー通りにいかずに、炎上してしまい、セミナー中止に追い込まれそうになることが、時にあります。その事例と、共通原因、対応策を考えてみます。

事例1.ある大手商社で、効果的グループ経営のテーマでワークショップを行った時、その会社の参加者から「意思決定に時間がかかる」と問題が提起された時、私のグループのペアリードの女性ファシリテーターが、「トヨタでは、ハンコは2つまでと決まっています、おたくの会社ではどうですか」と発言した時、一斉に猛反発されました。その会社の社員は、自分の会社は日本一と自負している人が多く、トヨタといえどもメーカーとして、下に見ているところがありました。そんな中で、トヨタを金科玉条的に、モデルと出したので反発の収拾がつきませんでした。もともと、その会社は早く短い時間で成果を出すことが最上と考えている社風でしたので、このワークショップはだらだら討議だけして意味がないと、休み時間に、事務局やファシリテーターに不満たらたらでした。その中での発言で、トラの尾を踏んだ感じでした。しかし、自分たちが、少し思い上がっていると反省の言葉も後から出て、踏み込んだ良い発言でもありました。

事例2.あるシンクタンクのリサーチャー、コンサルタントのマネージャに対して、会社の、ビジョン、ミッションを考える、部門、メンバーの関係性の良化を考えるワークショップを行いました。TVにも出てくる、頭脳超明晰の専門家や、経営コンサルタントのプロですから私の作成したテキストの不備をまず徹底的についてきます。私もわかっていましたから、素直に認めて、彼らの関心事にテーマを変え、そのファシリテートでなんとか乗り切りました。

事例3.ある会社でパワハラが実際に起きていても、その実感のない部長メンバーに、そのリスクを気づかせるワークショップでした。会社の歴史的に、業界的に、パワハラあたりまえの風土なので、何を言っても自分たちに関係ないという雰囲気が充満、何を言っても刺さらずに終了。炎上という種類ではないのですが、ほとんど盛り上がらず終了しました。しかしその会社でパワハラで深刻な問題が起き、一気に関心は高まり、2回目は充実したものになりました。

事例4.会社急拡大による、社員大量採用の準備として、ダイバーシティに関する一般的知識のセミナーを部長陣に実施しました。そんなことはわかっているし、実際にできているという意見が噴出、結局、部長たちが持っているダイバーシティの関心事にテーマを変えて凌ぎました。

ほぼ炎上の共通原因は、参加者は、エリート、プライドが高く、テーマやシナリオは十分、理解、認識、できている、テーマ自身が自分たちには意味がない、価値はない。シナリオが陳腐、進め方がまだるっこしい、です。ベースに事務局の問題意識や、講師が上から目線で教えてやるという姿勢への反感もあります。私は、彼らの反応はもっともだと思います。
そういう状況になった時に、まずファシリテーターとしてやることは、あわてず、あせらず、あきらめず に、参加者の関心に焦点を絞ります。もともとのテーマはそこでは忘れます。しかしまた後でそのテーマに戻ってくることは多いです。事務局の意図はそこにあったのかと参加者が気づくことがよくあります。

その後、ファシリテーターとして心がけることは、①参加者と対応の立場、上から目線はだめですが、参加者にただ迎合するのはもっとだめ ②最悪引き下がる(中止)覚悟を持つ、③ごまかさないで、参加者と正面から向き合う そうしていくうちに、テーマ、シナリオは嫌だが、せっかくだからこの講師と話をしてみてもいいかという、雰囲気になってもきます。しかしベースのスキルとしてのファシリテート力、いろいろな実務経験、修羅場の経験、それら経験を通して本に書いてある理論だけではなく、自論を持っていることが、セミナー炎上を乗り越え、最後は参加者に違う形で、ほどほど満足してもらう要素だと思います。

それでは、チュース

95.宮崎カリタス園長先生との会話「あなたは神を信じますか?」

きょうは恥ずかしい失敗談をひとつ。ドイツ、デュッセルドルフ駐在時、私たちは街なかにある日本人学校から遠くにある隣町に住んでいたので、次男は現地の小学校に通っていました。家の近所の子供たちもみなドイツ人なので、日本語を習うために市内にある宮崎カリタスというカトリックの教会に週に何回か通っていました。

キリスト教ですからイベントが年中たくさんあり、特にクリスマス会は盛大でした。ある年のクリスマス会でシスターである園長先生が私に寄ってきてくれました。そこでは若い日本人の修道女がたくさんいました。みなさんで明るく元気に笑顔で応対してくれます。でもいつも「すっぴん」、なので、園長先生に「修道女の方も休みの日には、お化粧して街にいくのでしょうねと、若いのですから。」聞きましたら園長先生は、しっかり私の目を見て「いえいえ彼女たちは しょうめい していますので、そのようなことはありません。」と言われました。私は、しょうめいは「照明」と勝手に解釈、「世の中を照らしているとお化粧は不要なのですか?どうして?」とまた聞いてしまいました。すると園長先生は「神様に命をさしだしています。ですから召命なのです。」と落ち着いて諭すように私に言いました。

私はそこが教会であることも考えずに、「えー、みなさん 本当に 神様信じているのですか?」と言ってしまいました。しまったと思っても後の祭りで、園長先生は激怒するのだろうなと思っていましたら、満面に笑みを浮かべて「住永さん、神様はいらっしゃいます。大丈夫ですよ」とゆっくり言われました。園長先生には、私は迷える子羊だったのです。でもその後、お説教はありませんでした。この人には言っても無理、無駄と思ったのでしょうね。

それでは チュース

77.アメリカ市場での大失敗 P社向けプラズマTV用POFの話

きょうはアメリカ市場での新規ビジネスの失敗話です。まだ液晶 vs プラズマの争いが激しく決着のついていなかった10年ちょっと前、私は勤務していた会社で新規事業のプラスチック光ファイバー(POF)の北米市場での市場導入をしていました。私は英国から戻って後から入ったのですが、北米市場では一般家庭のリビングが馬鹿でかい、だから大画面のプラズマTVを壁にかけると、それからかなり離れたところにあるコンソールボックスとを有線で結ぶ必要がある。その時最適なのがプラスチック光ファイバー(POF)で細かい差別点は忘れてしまいましたが、性能、価格、融通性、で競合の金属ファイバー、電線、無線に絶対勝てるという算段でした。アメリカだけで1本15万のその30mPOFシステムは、50万本の需要があり市場価格で750億円売れる大きな計画でした。幸いにも日本の大手プラズマTVメーカーP社が興味を示してくれ、ラスベガスの大きなショーで展示、その後市場展開してくれる予定でした。

しかし事件はその時起りました。我が社のPOFがショーで展示されていないのです。話が違うとクレームをつけようとして、P社の担当に会いたいといっても、多忙、不在でとうとう最後まで会えませんでした。結局その製品は50万本の0.1~0.2%しか売れませんでした。私もさまざま製品の市場導入をしてきましたが、このはずし方、滑り方は、異常でした。

なぜこんなことが起きたのか、私は途中から入ったので、進んでいるプロジェクトにクレームはつけられなかったのですが、品質重視の大メーカーによくある、製品ありき、品質ありき、技術ありき、で価格は置き去り、お客は置き去りという、プロダクトアウトの典型です。良いもの、品質が高いものは売れるはずという幻想です。プラズマTV70万+POFケーブル15万=85万に対して、これより安い液晶にも勝てず、さらに安い、液晶TVの半額のプロジェクションTV30万+電線ケーブル1万円には全く勝てなかったのです。ご存じのようにプラスティック光ファイバーとは別次元の問題で、プラズマは液晶、プロジェクションTVに負け撤退しました。また当時日本の液晶TVメーカとして絶好調だったS社も、技術をサムソン、LGにパクられ大苦戦しています。勤務していた会社はPOF事業では多大な設備投資もしていて大損でしたがすぐに撤退しました。正しかったと思います。

POF事業の拡大のため、優秀な技術者を数人~10数人中途採用しましたが、仕事がなくなり会社から去って行きました。希望を持って転職してきたのですが、悲しい結末でした。これも運命と思ってあきらめるしかないです。でもいったい何が悪かったのでしょうか。いまだに総括されていないような気がします。それをすると責任を取らなければならない上層部の方がいるからでしょうか。でもそれでは同じ失敗を繰り返してしまいます。ヒトを責めずに、コトを追求する。言葉ではきれいに言えますが、実際はヒトに集中するので、みんな避ける傾向がどこでもあります。でも強い会社はやってます。そこが違いです。

それでは、チュース

76.任命したアメリカ現法社長にパワハラで訴えられた、つらい思い出

転職した自動車部品関連会社で社長をしていた時代、アメリカ事業拡大ため現地に現法を出すことにしました。場所は自動車産業のメッカ、デトロイトに近いミシガン州のカラマズー、シカゴからミシガン湖を渡ったあたりです。初代の現法社長に若手で優秀、英語もできるA君を任命、あらゆるサポートを日本からも行い、また現地に私は何度も足を運んで密なコミュニケーションを取っていました。

設立してから1年くらいは順調でしたが、日本にいるスタッフ数人から「社長、Aさん最近おかしいですよ、メールをしても返事がないし、電話をしても一方的に怒るだけで、一緒に仕事できません。」というクレームがあり、即私は現地に飛んで本人と話をしました。私には傲慢な態度はとりませんでしたが、元気がなく、いらいらしている様子はすぐにわかりました。しかし彼が「大丈夫です、心配しないで下さい。」ということで、後任も考えながら、しばらく様子を見ることにしました。

その打合せをしてから2週間後、A君の弁護士(米国人)から、私宛に、「あなたのA氏に対する指示、態度によりA氏は著しく体調を悪くした。あなたの行為は悪質なパワハラである。500万ドルの慰謝料を請求する。不服な場合はデトロイトの裁判所に訴える。」のレターが突然送られてきました。晴天の霹靂とはこのことかと思いました。すぐに海外部長を出張させ、状況を確認しました。A君は病気で会話も満足できないという理由で面会を拒否しました。私のしたパワハラ行為、訴えの内容は、①過大な売上目標の設定 ②そのため長時間勤務を強いられた ③日本からのサポートが不十分 ④ ①~③によってメンタルになった という漠然としたものでした。A君は現法社長ですから、自分の行動は全く自分で決められます。私が具体的に行動を指示したことは皆無です。

しかし現法顧問でアメリカでの弁護士資格を持つ日本人は全く弱気で、アメリカ社会は労働者の味方で訴えたほうが有利、A氏に要求額に近いお金を払ってすませましょう、と言ってきます。なんとも嫌な気分になりましたが、よくよく調べていくとA君と会社のその日本人弁護士が共謀した訴訟のでっちあげの臭いがしてきました。すぐに会社側の弁護士を知人の紹介でその分野の専門のデトロイトの米国人弁護士に変えたところ、彼曰く、これは全くの言いがかりで、訴訟になっても100%勝てるということで、状況は突然こちらに有利になりました。訴訟に入っても良かったのですが、そうした場合訴訟費用だけで、こちらは10万ドルくらいは必要とのことで、不愉快でしたが示談にして数万ドルを退職金を含めてA君に支払いました。これは私がA君を米国現法社長にした任命ミスです。彼は最初から問題を起こし訴訟にして、かなりの現金を会社から手に入れようとしていたようです。A君をまじめで誠実な人間と判断した、私の見る目のなさを恥じましたが、彼に入れ知恵をした人間もわかりました。

私にとってはつらい経験で、この一件も原因で私はその会社をその後退職しました。私も精神的に疲れました。私はすぐに相手を信用してしまい、こちらが誠意を尽くせば相手もきっと返してくれるはずという甘さがあります。昔の厳しい上司からはいつもそこを指摘されていました。「外人(その上司はもっと悪い表現でしたが)を信用するな、甘くみられるな」というのが口癖でした。でもこの場合は日本人でした。しかしその裏に 日本人を甘く見て、強く出れば日本人は譲歩する と思っている外人がいることがわかりました。残念です。私は何回も痛い目に会い、騙されないように進歩はしてきましたが、まだまだ残っています。

それでは、チュース

73.海外トラブルは油断した時にやってくる

みなさんも海外旅行によく行かれると思います。海外旅行は非日常を実感できる貴重な体験です。しかし想定外のトラブルもよく起こります。そうなると旅の楽しさも半減してしまいます。私はトラブルは油断した時にやってくると思います。その実例をいくつか上げます。みなさんの参考にされば幸いです。

・ローマ市内の路上で赤ちゃん連れ、はだしの母親ジプシーに右上腕をねじりあげられ、出血、後ろポケットの小銭入れを取られました。最初に小銭を乞われた時に拒否したため、ジプシーを怒らせました。乞われて小銭を上げてその場を逃げるのも一計ですが、それを見た他のジプシーが群がってきます。襲われる前に、イタリア人の商店主が大声で私に向かって叫んでいました。後からホテルの人に聞くと「危ない、店に入れ」と言っていたそうです。どこの店でも入りさえすれば、ジプシーは追ってこないそうです。

・ギリシャ、アテネでの海岸のきれいな野外シーフードレストランでのこと、1人の難民の4~5才くらい男の子が段ボールの切れ端に ‘小銭ください’ 書いて差し出します。その可愛い目に思わず小銭を出そうしましたら、同行の代理店社長に止められました。「あっちも見ろ」の先にいたのは、大勢の難民の子供とそれを仕切る大人でした。彼らはカモを探していて、私が上げれば、一斉に飛ぶ込んでくるそうです。これも店の人にお願いして対処してもらいましたが、慣れていない私は胸がいたくなる場面でした。

・ベルギー、ブラッセルの広場で集団で子供がやってきて、握手して、胸を下から触ります。これは胸ポケットの財布ねらいです。

以上はジプシーの子供がらみのケースです。要注意です。

・ローマでの友人の話、交差点で隣の車が何かこちらのタイヤに細工をしたなと思いましたが、気にせずしばらく走ると、その車のドライバーが「パンクしてますよ」注意、降りて自分でパンク修理をしていると、車から小物を盗んで逃げる男がいました。注意してくれた男が「泥棒だ、追っかけろ」と叫びましたが、ここで友人は、こいつらみんなグルだと気づきました。ねらいは残った車にあった大荷物です。

・フランクフルトの空港で例によって、通関係員につかまって、バッゲージクレームで荷物のピックアップに遅れて行くと、出口で私の荷物をピックアップした子供が、係員に止められていました。私が行ってなんとか取り戻しました。子供がどこからか入り込んで荷物をピックアップする犯罪は多発しています。

・デュッセルドルフの中央駅でアルプスに向かうスキー列車での出来事、大きな荷物が入り口にたくさん置かれていると、移民か難民と思われる子供が勝手に荷物を列車から下ろそうとしています。発車するまで注意するか、面倒でも自分の座席まで運ぶ必要があります。

・ザルツブルグでのケーブルカー、リュッサックの後ろのポケットを開ける人がいました。リュックサックは前向けに持たないと危ないです。人が自分の後ろに回ったらあぶないと思ってください。

・これはシャルルドゴール空港での空港職員の組織的犯行です。X線写真で経由便の荷物検査の職員が金目ものが入っている荷物があると横に出して鍵をこじ開けます。バルセロナ経由で日本に帰る途中、事情があって不用意にも入れておいた予備の現金を全部抜き取られました。もちろん保証はありませんが、空港内の犯行であること航空会社は認めています。

・インドネシア、バンドンの最高級シェラトンホテルでの盗難です。自分の部屋に入る前にホテルの入り口から厳重な3重のチェックがあり、このホテルは安全と信じ込んでしまいました。セーフティーボックスがバスルームにあり、気がつかなかったので、現金、パソコン、携帯電話、パスポートをスーツケースに入れたまま、鍵をしないで外出してしまいました。戻った時には、現金、パソコン、携帯電話 合計40万やられました。私のいない間のドアの空き時間、閉め時間も記録されており、完全な内部犯行で疑わしい人物は特定でき、私を部屋に案内したボーイでした。そのボーイは次の日からホテルにこなくなりました。40万円はボーイの2年分の給与だそうです。ホテル支配人はセーフティボックスでないから保証はできないの一点ばりでしたが、あらゆる方面から粘り強く交渉、多少芝居もして、3ヶ月後に全額戻りました。タフな交渉でした。

・スコットランドのレンタカー会社、車を返却する時に、レンタカー会社の担当に確認させたのに、後になってレターで傷があったからチャージすると言ってきました。事実ベース、相手とのやりとり、プロセスを冷静に記述、ロジックで反論しました。チャージはしないと言ってきました。あわてず、うやむやにしないことです。

トラブルがトラベルと言って、ごまかすツアーガイドもいますが、やっぱりトラブルは嫌です。会ってしまった時は主張すべきことはしっかり主張しましょう。事実データ、ロジック それに現地でサポートしてくれる人が必要です。

それでは チュース

72.私がUSA通関をクリアできないのはなぜか?

今回のボストン・ローガン空港での通関は何事もなく通過できました。ただ新しい米国ビザ免除システムESTAの入力画面でどこかで読んだ旅行ガイドに、すべてNoと答えれば良いと書いてあったので、最後の質問「以上の質問は正しいと宣誓できますか?」と聞かれて、これまでもNo答えてしまいそうでした。難しい英語ではないのですが、私の見たところでは日本語の案内がなく10人中半分3人くらい係員に聞いていました。でも無事クリアでやれやれです。実は過去私はアメリカ入国で何度もつらい経験をしています。パスポートコントロールはクリアできるのですが、その後の通関が鬼門です。別室に連れて行かれてシビアな荷物検査を何度も行けました。シカゴ、サンフランシスコ、ニューヨーク、まるで手配書が回っている感じでした。通関で荷物を待っている時に、麻薬犬、食物・植物検査犬が横につきます。個人客だから怪しまれると思い、団体ツアーなら大丈夫と思ってANAワールドツアーに潜り込んでも、検査官から「君こっちに」と呼び止められます。そして別室の検査室で念入りな荷物チェックです。所持品全品出したあと、スーツケースの縫い目を調べ、歯磨きチューブの中身まで押し出します。15分~20分のチェックの後、毎回「No Problem」と言われて釈放されるのですが、パンパンに入れてあった荷物をまた最初からパッキングするのはたいへんです。Big Problemです。外に出てくると、同行のドイツ人や英国人から、「住永と一緒だと時間がかかるね」と毎回嫌味を言われます。

何故なのか、全然わかりませんでした。欧州からラフな格好で日本のパスポートの入国だからかなと思っていました。でも他の同僚日本人はそんな経験はしていませんでした。ある時、経験豊富な商社の先輩にその話をすると、即座にそれは、

「君は、コロンビアの麻薬密輸組織の運び屋、トップではなく、No3かNo4 に間違えられている。」

と明確に国名、役割、序列まで断定して言ってくれました。確かになるほどなとうなづけます。コロンビア人はモンゴリアンの顔に近く、色も黒くて、目がギョロギョロ、小柄、髪もわけていない、服装もきちっとしていない。私はトップほどの押し出しもない。私のその時の風貌にぴったりでした。

それからはアメリカ入国の時は、より日本人のイメージに近くするため髪もきちんと分け、スーツ、ネクタイをしました。すると無事に通関できる確率が格段にあがりました。

しかし実はドイツの空港でも同じことが何回か起こりました。デュッセルドルフ駐在の頃、毎週英国のルートン空港近くの会社に出張がありました。毎週なので経費節約で格安航空会社を使っていて、その航空会社の発着空港はデュッセルドルフの隣町メンシェングラッドバッハという小さな空港でした。ターミナルビルの真ん前に駐車して、3つしかないカウンターでチェックインした後、その横のドアから外に出ると小さな飛行機が50m先に駐機している、のどかな空港でした。出国は良いのですが、入国の時、ドイツ人は何事もなく通関をパスしていきます。唯一の日本人である私が通関をパスしようとすると別室にいた係員が、私を監視カメラで見つけて飛んできます。そして例の別室荷物検査が始まります。日帰り出張ですから、小さなバックだけですぐに釈放なのですが、ある時係官に「なんで私だけ調べるの?」と聞くと、「おまえ日本人だろう。普通の日本人駐在員はこの空港は使わない。おまえは普通じゃないだから、何か麻薬でも密輸しようとしているのだろう。」との嫌疑でした。私にとっては、通関検査、麻薬は、危ないキーワードです。

それでは、チュー