カテゴリー別アーカイブ: 上司とのつきあい方

156.上司と部下のミスコミュニケーション 

とても良くある、上司と部下のミスコミュニケーションです。

課長:「うちの部下は、報連相がまったくできていない。大事なことを私に言ってこない」
部下:「うちの課長は、何も聞いてくれない。何を言っても無駄です」
これは、よく聞く愚痴です。

まあ、互いの悪口を言って、何事もなく終わっていればよかったのですが、この課長、部下の担当するA社の仕事が大クレームに発展して、激怒したユーザーから出入り禁止になってしまいました。よくよく状況を調べていくと、小さな問題の時に、2人の間にコミュニケーションは確かにあったのです。それは次のようなものでした。
部下:「A社さんの仕事で、こんな問題が起きているようでクレームが来ています。困っちゃいました、どうしましょう。課長、指示してください。」
課長:「そんなあいまい、いい加減なことではだめだ。事実を自分できちんととらえ、何が問題なのか、原因は何か、対策案は何がベストか考えて持ってこい。」
このまま、忙しさもあって、両者は2週間そのことを放置してしまいました。部下はどうしていいか、わからず、誰かとも相談できず、少しだけ悶々とした日々を送り、課長は部下はなんとかしているだろう、大問題になりそうだったら、何か言ってくるだろうと思っていました。

何が、問題なのでしょうか。双方が相手に対する期待値が、まったくずれているのです。そのずれを双方は気にしながらも、口に出さず、何もしないで時だけ経ってしまいました。そして困ったことに双方とも何かあったとしてもそれは相手が悪いと信じていました。たいていの事は、それほど大きな問題にならずに解消していきますので、双方ともなんとかなるだろうと思っていたのかもしれません。結果としては両者とも仕事に対して無責任です。課長は部下をなじることはできても、良い結果を生むための部下の指導ができていません。部下もできないことを、できないと言う小さな勇気を持たないとだめでしょう。仕事なのですから。

これは、一例ですが、本当によくあるケースです。部下が何も考えずに短絡的に課長に、助けを求めるのも困りますが、上司はぐっと我慢して、指導してあげてください。今時のゆとり世代の部下指導は、手間と時間のかかるものと覚悟してください。しかし日本国中、どこの会社も同じですので安心してください。

それでは、チュース

144.自分の評判をプロデュースする

先日、ある発表会で、英国人と日本人のプレゼンテーションを見ました。日本人も昔に比べれば、プレゼンはかなりうまくなってきましたが、やはり英国人と比べると、自己アピールは控えめ、謙虚です。英国で現地スタッフの採用関わった時、彼らは3日通ったセミナーについて、自分はこの分野のエキスパートであると自信を持って言い切ります。日本人の場合、謙虚が第一、あまり出すぎないのが美徳、「巧言令色少なし仁」は、まだ冷やかにみられるのでしょうか。もっと自分をうまく表現して欲しいなと思ってしまいました。

それもあって、きょうは、ブログ10で「サラリーマンはヒラメ、社内営業もしっかりやる」の続編、上級編です。私は、会社の仕事で一番おもしろいのは、大きな責任ある地位をもらい、多くのお金と人を使える権限を得て大きなチャレンジングな仕事をすることだとずっと思っています。その実現はその決定権を持つ上司がポジションとチャンスを与えてくれるのです。生殺与奪はその人の手中にあり、その決め手は、成果、評価ではなく、評判です。印象と言ってもいいでしょう。ピラミッドの上に駆け上がって行く人は、皆、頭脳優秀、努力もするし、しっかり成果も出しています。差はほとんどないと言っていいでしょう。その際に、どうやって自分を目立つようにするか。他者より抜き出れるか。つまり自分の評判をプロデュースできるかが大事になってきます。私の周囲、知人で成功した人の「自分の評判のプロデュース」の実例を挙げてみます。明確なのは、決定権者をはっきりさせ焦点を絞っていることです。そこまでやるかの感もありますが。

1. ある欧州で行われたグローバルセレモニーのパーティーで、Aさんは、出席者約80人のテーブル割を担当しました。丸テーブル一卓に8人座ります。自分の上司と本社トップを一番テーブルに割り当て、同席者はイギリス、フランス、ドイツの主要国の現法・代理店の社長としました。しかしその上司は、Aさんに、同席は、ギリシャ、ポルトガル、ベルギーと指名、売上規模としては小国でした。あとでわかったのは、その小国の社長は、上司と仲が良く、必ずトップに自分のことを絶賛することがわかっていました。もちろん仕組んでいます。もちろん上司は良い評判を勝ち取り、出世しました。

2. ある海外現法社長が、自分の担当国に本社トップと訪問した時の話、現法社長はその訪問国にある自社のすべての宣伝カー数台をその訪問エリアに集結、本社トップと奥さんが通る観光ルートにわざと何回も道路上ですれ違うように指示しました。それを見たトップの奥さんは、「また来た、また来た」と言って大喜びしました。現法社長は高い評判を得ました。

3. ある海外現法社長が、自社製品のシェアが低い担当国に、本社トップと訪問した際、目抜き通りにある、他社系販売店を1日だけ買収、自社製品をメイン展示にしたところで、トップと訪問、トップは頑張ってるなと喜びました。そのあとディナーをした観光船を自社カラーとポスターで飾り付けました。

4. 海外現法オフィスに、本社トップが訪問した時、入口階段に緋毛氈の絨毯を引き、階段両側に駐在員を整列させ、拍手で迎えました。そんなことまでと本社トップは照れながら、内心は大いに喜んでいました。

逆に、悪い評判が立ちそうな時、それを即座に他責にして、打ち消した例もあります。

5. 本社トップが、ある国を訪問した時、駐在員の部長が2人ランチにアテンドしました。2人とも良く行く洒落れたレストランでした。本社トップを案内すると、トップは「君たちはいつもこんな高級なところで昼食を取っているのかね」と聞きました。即座に片方の部長は、「いえ、私はこの店、初めてきました。」と即答しました。もちろん、この後、この2人の部長の関係性が悪くなったのは当然ですが、上昇志向の強い人にとって、ライバルをはめることなど、全く気にしないのです。

もちろん、こんな作為的なことは大嫌い、自分はまじめに成果をだし、わかる人がわかってくれればそれでいい。そんな姑息なことはしたくはないという考えもあるでしょう。実は私もサラリーマン時代は全くそうでした。しかし会社ではそうでないやり方をした方が、そのあとで多くのチャンスをもらえるという現実を見ると、あながちそれらは否定はできないし、自分も少しはやるべきだったな思っている私がいるもの事実です。ある上司から「おまえは仕事はできるが、俺は嫌いだ」と言われたことがあります。サラリーマン、宮仕えの身としてはその時点で失格です。

それでは、チュース

143.上司の言うことがコロコロ変わることにおろおろするな

いろいろな会社で、様々な階層の人と話すと、良く出てくる不満が、「私の上司は、言うことがコロコロ変わる。そのたびにいちいち対応しなくてはいけない。前にやってきたことが無駄になる。一度決めたら変えないで欲しい。」
でもそれは必要な対応なら致し方ないです。状況は一刻一刻変化していて、それへの対応はマネジメントの役割です。
上司の言動は影であり、元になる誰かの何かの意向で動いています。でも、その上司を動かしている人、モノも誰か、何かに動かされています。
その動かしている人、モノは、上司、顧客、技術、株主、銀行、社外のライバル企業、社内のライバル、影響力を持つ元役員、組合、占い師、ひょっとしたら奥さんかもしれません。必要があって動いているのです。朝礼暮改は、若干の開き直りもありますが、良しであり、正しいことです。

あなた自身の言動も見てください。本当に内側の自分の意思、欲求だけで動いていますか。そうではないはず、外から刺激を受けたり、何かを見聞きしたり、口コミだったり、友人からの誘いだったり、発言で動いていませんか。

上の言動がコロコロ変わることにおろおろしないでください、これはしょうがありません。変わるのは人間の特性です。上司も誰かに、何かに動かされているのです。だからあなたも、その動きにある程度従うしかないと思います。啖呵を切って逆らってもいいですけど、タテの強い組織では、サラリーマンとしてあまりいいことがないことは、多くの事例が証明しています。でもその方針変更理由は上から十分聞いて、納得したほうがいいです。あなたが上司なら部下に対して、理由説明の責任はあります。

もし余裕があれば、上司は周囲のどんなことの影響を受けて判断、行動しているか、分析してみるといいです。上司の先を見ておけば、上司の行動はある程度予測がつきます。予算の進捗状況に超敏感な人もいれば、周囲の評判を気にしすぎる人もいます。上司の上司と感情が同期して、言うことが同じ人もいます。

たとえ話として、高速道路で、追突を避けるには、前の前の車を見ていればればいいと言われます。
またカーブの多い道で、ドライバーは、助手席の人は車酔いをしませんが、後部座席の人は車にふられて車酔いします。ドライバーや助手席は先を見て、道の曲がりが予測できて、それに体が事前に反応できていますが、後ろ座席の人はできません。曲がってから、体が揺さぶられます。だから車酔いするのです。

きょうの結論、コロコロ変わる上も、誰か、何かに動かされている。これはしょうがないこと認識すること。その誰か、何かの予想できれば、それを先行指標と理解して、事前に確認、管理ができると、あなたへのストレス少なくなります。

それでは、チュース

108.デカルトとパスカル

昔、会社に勤めていた頃、大事なプロジェクトの事務局をした時の話です。そのプロジェクトには、自他ともに認めるとても優秀な上級マネジャーが2人共同リーダーとしていました。年はほぼ同じ、若いころから同じ事業部で、上昇思考の塊のような人たちで、いづれ会社のトップになることをいつも自分で口にしていました。このお二人、タイプは全く異なっていました。仮にAさんとBさんとしましょう、Bさんは、まったくデカルトの申し子みたいなひとで、人間の理性は万能であり、世の中はすべてに原因と結果があり、因果関係のメカ二ズムで回っている、判断はすべてデータ重視でデータにないものは事実でなく認めません。Bさんは「xxxのメカニズムの究明」が大好きなテーマで、自分の主張に合致する事実を見つけて来いと部下に指示していました。一方Aさんは、パスカル・パンセの考えに近く人間の優秀性は認めていましたが、人間の理性には限界があり、それを超えた何かがあると言っていました。それは運だとも言っていました。世の中は相互作用による偶然によって左右され、判断に迷ったら直感を信じる人です。こんな2人が同じプロジェクトにいると、誠にやっかいです。議論しても双方譲りません。というか議論になりません。もめた後に事務局の私になんとかしろと言われてもどうしようもありません。

ある時、大きな意志決定の場面で、Bさんは、膨大、綿密なデータから完璧な理論を構築、Aさんに自説の正当性を主張しました。Aさんはしばらく考えてからこう言いました。「それ違うな」、Bさんはすかさず「どうしてですか、根拠は」、Aさん「それは勘だよ」それで議論は終了、Bさんの意見は却下されました。勘といってもそれは、長い経験、知識の積み重ねの上での知恵なのですが、それがうまく言葉で説明できないのだと思います。結局の上の人間がそれを言ったらそれで議論は終了です。職位は少しだけAさん>Bさんでした。今の流れで言うなら、Aさんは説明責任を果たしていない、乱暴に自分の恣意的な意見を通しているということになって批判されるかもしれません。でも会社は詰まるところパワーゲームです。

少し話は飛びますが、今の世の中は、特にビジネスではすべてデータ中心、論理中心のデカルト的な考えが支配しています。電車に乗って前に座っている人の7割は、スマホで情報選択するか、メールしているでしょう。膨大な情報に触れていると安心しその指示に素直に従います。今はNaviがなければ目的地に行くことも難しい時代ですが、私の住む小道の多い世田谷ではNavi通りに来て往生している他地域プレート号の車に良く出会います。

戦後しばらくは、日本人は地方の農村、漁村に8割の人が住んでいました。その自然の中での暮らしでは、かっこうが鳴けば遅霜はもう来ないから、作物を植え付けても大丈夫とか、沖のあそこに黒雲がでたら嵐になるとか、あの山影に雲がでると明日は雨とか、長年の生活の中で生まれた知恵がたくさんあり、その状況を五感で感じ自分で判断して行動してきました。何でも提示されたデータに従うことはある一面、正しく素晴らしいことですが、人間が本来持っている、環境を自分で判断して生きていく能力を失っていくような気がします。勘だけどというと、いい加減、無責任に聞こえますが、それは言葉で説明できないだけでしっかりした裏付けがあることも多いと思います。今、私たちは言葉や文章で明確に示されることを信用し過ぎているように思います。「この人もっともらしいけど、ウソ言ってるな」は勘から来るものです。もっと感性を磨きましょう。

それでは、チュース

83.言わぬが花の文化は会社でまだ健在か

以前 NO.19 日本人駐在員は海外と国内でキャラを使い分ける と言いましたが、国内で使うキャラについての続編です。私はサラリーマン時代に、上司や先輩から指導をたくさん受けました。仕事の内容や質、納期遅れではなく、態度、姿勢のことばかりでかなりうんざりしていました。会社時代よりずっと以前、幼稚園の頃からだと思います。きっとそれは私のDNAだと思います。指導の時、よく諺が引用されます。「言わぬが花」「もの言えば唇寒し」「沈黙は金、雄弁は銀」「男は黙ってサッポロビール」「キジも鳴かずば撃たれまい」個人的には最後の諺が一番リアリティがあって理解しやすくて好きでした。振り返ってみると、きっと生意気な口調で目上の人に思ったことをストレートに言っていたのだと思います。確かに内容より、言い方、表現方法が悪かったのだと今は反省しています。

会社員の時、海外に行く前から、横と下との関係はOK、自分の事を良く理解してくれる先輩も大丈夫でしたが、少し距離がある、上司、目上の人にはすこぶる評判が悪かったです。私のモノ言いがタメ口口調で、そんなに親しくもないのになれなれしい態度が相手を不愉快にさせていたのでしょう。さすがに最近は大人になって、距離のある目上の人との付き合いにもなれてきました。少し遅すぎますが進歩はしています。

よく海外駐在員時代にローカルスタッフで日本人とのコミュニケーションに困っている人に日本文化に基づく上記の諺を英語でしてあげると受けました。日本人の言動が理解できると言ってくれました。日本人は単一民族に近く、農耕民族で狩猟民族に比べてそれほど細かい戦略の情報交換の必要もなく、言葉によるコミュニケーションより以心伝心、相手の気持ちを推しはかる、空気を読む ことの方が質の高いコミュニケーションと歴史的に評価されていたのだと思います。だから良くしゃべる人は、程度が低いと思われます。もうひとつの日本の特徴は対等な場での会話、対話というのは少なく、グループ内、組織内での上、下の序列が決まっています。ですから敬語、謙譲語が生まれてきます。上、下関係の世界では、言っていいこと、悪いことがあり、上の面子をなくしたり、失礼になることを極力避けます。場合によっては命を落とします。ですから絶対的に会話の量は減り必要最低限の会話しかなく、あとは下の者が推測の中で動き回り、上の思惑通りにうまく組織は回っていきます。日本の相撲の行司はレフェリーではありません。レフェリーは土俵下にいる親方衆です。親方衆は自分ではジャッジせずに支配下にある行司にジャッジをさせて、異議のある時だけ、「物言い」をつけます。これは日本独特のシステムで会社でもよく見られます。

しかし敬語、尊敬語がない言語、社会では対等な話し方が普通になります。いや逆で対等が前提だから敬語、尊敬語がないのです。海外ローカルスタッフも最初の外人としてお客様扱いで良い時は許してもらえますが、社内の身内になってくると外人といえども上下関係が発生してきますので古いタイプの日本人は嫌がることが多くなります。いわゆる「ガイジン」になります。特に年配の管理職には顕著です。でもけっして自分では外人に直接言わず日本人部下にお前の指導が悪いからこうなる。お前から良く言っておけということになります。実は韓国は儒教文化がまだ全盛で、もっともっと難しいと思います。これは本題でないから省きますが韓国の会社と仕事をして上下の関係で驚かされたことがたくさんあります。

ところで本題の結論ですが「言わぬが花」はまだ日本の会社、社会では健在です。今権力を持っている人たちの世代は上下を明確にするのが好きです。それを前提にした親分、子分の関係を作って組織をマネジメントしていきます。だから変わっていないと感じます。少し前のブログで、関係性の良い職場は本音が言える職場と言いました。上下関係のはっきりした職場ではそれが難しいのが現実です。日本のホワイトカラーの生産性が低い一因はそこにあるのかもしれません。

それでは チュース